プロ野球亭日乗BACK NUMBER
巨人・小林誠司のリードが変わった!
頭で描く配球から、投手本位へ。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2015/08/22 10:50
ポスト阿部として小林誠司の前には万全のレールが敷かれているかに見えたが、プロの世界はそれほど甘いものではなかった。それでも、着実に小林は階段を上っているといえるだろう。
頭で考えた配球だけでは、投手の力を引き出せない。
原監督はこう説明していた。
「だから投手の信頼をなかなか得られず、呼吸も合わない。もう少しキャッチャーとしての視野を広げさせたい。そのためにはファームで数多くマスクをかぶって、経験を積むことが一番、彼の成長を促すことにつながるという判断だった。小林には武者修行にいくつもりで頑張ってこいと言って送り出しました」
要は、自分が頭で考え描いた配球図を投手に強制するリードが多いということだ。しかし、投手というのはデリケートで繊細な生き物である。その日の自分の調子やボールの状態で、微妙に投げたいボールや信頼するボールは変わってくる。そういう心理にはお構いなしに、自分の設計図通りの組み立てを求めるから、自然と呼吸が合わなくなる。
これはともすると頭のいい捕手や、社会人野球などで経験を積んできたキャッチャーにありがちな失敗でもあった。
あくまで影の存在であるべき捕手が、自信があるから前に立ってしまう。そうして自分の考えを投手に押し付けて、投手はリズムを崩してしまうのだ。
谷繁元信が語った「10年かかる」の意味。
「キャッチャーが自分の思い通りのリードをできるようになるには10年かかる」
こう語っていたのは、中日の谷繁元信監督兼捕手である。
「それまでは、いかに投手を気持ち良く投げさせるか。そこにスパイスみたいに自分のリードを入れていく。そうして信頼関係を築くことで、最後はピッチャーにアイツのいうことを聞いとけば大丈夫、と思ってもらえる。そこで初めて自分のリードができるようになるんです」
そうなるまでに谷繁監督は10年くらいかかったというのである。
実は小林がファームでの“武者修行”を終えて、一軍復帰してからも“ピンチ”はあった。