錦織圭、頂への挑戦BACK NUMBER
錦織圭、強さは“運”よりも“生き方”。
困った時に助けが現れるのはなぜか。
posted2015/06/29 11:40
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph by
Hiromasa Mano
1年を通じて勝負を繰り返すテニスプレーヤーで、体に痛いところがどこもないという人はほとんどいない。皆、その「痛み」をどうにかこうにか「ケガ」にしないところでとどめているのだ。
錦織圭も今シーズン、他の選手と同じように過酷な連戦やハードな練習を乗り切っていたが、ウィンブルドン開幕の10日前、ドイツのハレの大会でついに途中棄権に至るケガを負ってしまった。
「筋膜炎」という症状は、より聞き慣れた「肉離れ」の一歩手前だそうだが、素人にはこういう話はわかったような気になるだけで、実は全然わかっていないのかもしれない。
プロのアスリートは、お金を払って自分のパフォーマンスを見に来たファンに対する責任と、それを果たすことによって犠牲になるかもしれない自分自身の問題と関係者への負担を天秤にかける。どのくらいの痛みで何を優先させ、どのくらいの痛みまで我慢するのか……。
そんなアスリートの繊細な感覚を、経験のない者が知った気になるのは傲慢なのかもしれない。ただ、彼らが実に難しい判断をたびたび迫られながら戦いに臨んでいることだけはわかる。
錦織がハレの準決勝を5ゲーム戦って棄権したことは、プロとしてあらゆる責任を可能な限り全うしようとした結果ではなかったか。
その葛藤に思いを馳せれば、「5ゲームも」と言うことも「5ゲームだけ」と言うことも、私にはできない。
棄権や欠場を繰り返してきた錦織とケガの歴史。
錦織の途中棄権は1年2カ月ぶり、久しぶりだった。
錦織のキャリアはケガの歴史と切り離せず、プロ大会に出場し始めたのは16歳だった2006年で、デビュー2戦目がもう途中棄権だった。
テニス界を驚かせたデルレービーチでのセンセーショナルなツアー優勝は'08年2月だが、その年だけで途中棄権と試合前の棄権を合わせて5回。'09年は途中棄権1回だが、この年の3月から約1年間は右肘の故障でツアーを完全に離れてしまっていた。
その後も棄権が一度もなかったシーズンはなく、それ以外にもケガで大会を欠場したことも少なくない。若い頃「ガラスの体」と呼ばれたラファエル・ナダルだって、プロデビュー戦から3年間での棄権回数は2回しかなく、ここまでの合計でも8回だ。