野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
ヤクルト芸術家、まさかのブレイク!?
真中新監督もながさわ画伯の毒牙に!
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHirokazu Kobayashi/pia
posted2015/02/06 10:30
東京・新宿区で行なわれた個展会場にて、取材陣にポーズを求められるながさわ画伯。いつになく晴れやかな笑顔だ。
一蓮托生と惚れ抜いた小川監督が昨年限りで退任。
「正直なところ、球団に認めてもらって、背番号をもらう云々という夢は、もう無理じゃないかと感じてきています。でも一方で僕の絵を見ながら、一緒にスワローズを応援したいというファンの人たちが増えている事実もあるわけですから……。
難しいですけど、入団するしないに主眼を置かず、“絵でチームの力になる”ということを目指したい。その方がよっぽどいい作品ができるのではないかと思うんです」
様々な媒体に取り上げられ認知度が上がることで、おかしないちファンの奇行で済んでいたことが、球団が無視できないぐらい大きな存在になりつつある。
そう、ヤクルト80周年の今年。ながさわは、ブレイクする可能性もあれば、球団から訴えられて犯罪者になってしまう可能性もあるといっていい。
正直、引き時のような気もする。
球団の言い分を覆すことはおそらく難しいだろう。そして一蓮托生と惚れ抜いた小川監督が昨年限りで退任した。
2010年途中からの5シーズン、“絵の持つ力でスワローズの力となる”という大いなる目標を掲げ、ながさわは小川監督と共に歩んできた。
しかしその結果得たものは、貧しい生活と変な人扱い。ヤクルトを描く契機となった一場はあっという間に戦力外。次に贔屓とした増渕もながさわがユニフォームを着た瞬間にトレード。極めつけは、自分の絵でヤクルトを優勝させるはずが、Aクラスから2年連続最下位に落ちた。
この慰めの言葉も見つからない真実に、ながさわは何度も心折れ、“プロ野球選手”からの引退宣言をしたり、トライアウトと公言して他球団からの獲得オファーを待ち、実際にベイスターズ中畑監督から「なぜヤクルトなんだ、うちに来いよ」と非公式に誘われたりもした。それでもながさわがスワローズに残ったのは、ながさわを“選手”と扱ってくれた小川監督の胴上げシーンを描きたい。その一心があったからだ。
「小川監督を辞めさせたのは結果を出せなかった我々」
世間での関心が高まっているとはいえ、ながさわの苦行を終わらせるのにこれ以上のタイミングはなかった。
「何度も辞めたい辞めたいってありましたけど、辞めなかった。俺が辞める時は小川さんが辞める時だ。ずーっとそう思ってやってきました。だけどね、実際に小川さんが辞めるとなった時に僕自身、何も残せていなかった。
いくらこの絵がいいと言われても、芸術作品として評価していただけるとしても、作品の真の目的である“チームの力になる”という芯の部分がまるで表現できていない。それができていないのであれば、未完成のまま投げ出すことと同じ。去年の最終戦、神宮球場で小川さんの最後のスピーチを聞きながらね、ずっと悔しかった。『自分が不甲斐ないから責任を取る』ってね、そんなことを小川さんに言わせてしまった。違うんだよ。小川監督を辞めさせたのは結果を出せなかった我々なんだよ。選手であり、ファンであり、俺なんだって」