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“阿部二世”ではなく“谷繁二世”に。
原監督が小林誠司に求める捕手像。 

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氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2014/03/28 10:50

“阿部二世”ではなく“谷繁二世”に。原監督が小林誠司に求める捕手像。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

セ・リーグファンミーティングで原辰徳監督は、小林誠司について「ジャイアンツフェイスだ」と紹介した。阿部という絶対的な存在がいるチームに加入したルーキー捕手への配慮がそこここに感じられる。

高校3年夏、甲子園決勝「佐賀のキセキ」。

 小林の経験の中でもっとも記憶として思い起こされるのが、高校3年夏、甲子園の決勝戦である。

 野球ファンの中には記憶している人がいるかもしれない。「佐賀のキセキ」と呼ばれたこの試合は、世紀の大逆転劇で小林ら広陵は佐賀北に敗れ、準優勝に終わっている。

 7回を終えて4-0でリードしていたが、8回裏に怒涛の反撃を受けて、最終的には逆転満塁本塁打を浴びた。

 打たれた逆転弾は、野村の失投だった。チーム全体が、佐賀北の反撃に沸く甲子園の雰囲気にのまれたこともあった。また主審のジャッジがやや佐賀北に有利に働いていたことも、少なからず原因であったのかもしれない。

 しかし小林だけは、ある1球を嘆いていた。同志社大時代、小林はこう話していた。

「先頭バッターにヒットを打たれたんですけど、その打者はピッチャーで8番打者、バッティングはあまり良くなかった。そんな打者に対して、一番打ちやすい緩いボールを要求したんです。野村は僕のリードに首を振らないんで、そのまま投げてくれたんですけど、それを打ち返された。

 あのヒットから相手に勢いが出てきて、球場が揺れるような大歓声になったんです。後になって思うのは、なんであの時、僕はあんなボールを野村に投げさせたんやろって。野村に悪いことをしたなって。すごく後悔しているんです」

城島から谷繁へ、自らの捕手像をがらりと変えた。

 小林が、捕手として大事なものが何かを自身に投げかけるようになったのは、この敗戦からだった。リードを失敗した日としてこの試合を記憶にとどめ、あの1球から、小林は自身の捕手像をがらりと変えたのだ。

「高校の時は打てなかったこともあったので、打てるようになりたいと城島(健司=元阪神など)さんが目標でした。でも、キャッチャーは守りが大事だと気付かされた。自分は谷繁選手みたいなキャッチャーになりたいと思っています。谷繁さんは、一つ一つのボールに意味があるリードをされていて、その投手の一番いいものを引き出そうという気持ちが伝わってくる。僕も谷繁さんのような『勝てる捕手』になりたい。甲子園の決勝で大逆転負けをした、あのキャッチャーが今も野球を続けていて、出てきたんやなって、そう言われたい」

【次ページ】 原監督の言葉は、小林の成長の助けとなる。

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