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“阿部二世”ではなく“谷繁二世”に。
原監督が小林誠司に求める捕手像。 

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氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2014/03/28 10:50

“阿部二世”ではなく“谷繁二世”に。原監督が小林誠司に求める捕手像。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

セ・リーグファンミーティングで原辰徳監督は、小林誠司について「ジャイアンツフェイスだ」と紹介した。阿部という絶対的な存在がいるチームに加入したルーキー捕手への配慮がそこここに感じられる。

 その言葉は、ルーキー捕手の気持ちを楽にさせたのではないか。

 2014年のセ・リーグファンミーティングにおいて、巨人・原辰徳監督がルーキーの小林誠司に珍提案を送ったという。

 その提案とは、小林には谷繁元信(中日)のようなずる賢い捕手になってほしいというものだった。

「古田(敦也)、矢野(燿大)、プレーイングマネジャーの谷繁、この3人は意地悪で、ずる賢い。小林も谷繁から“陰”の部分を見習ったらいい」

 筆者が記憶する限り、小林が目標としてきた捕手像はもともと谷繁だった。

 しかし、昨秋のドラフトで巨人からの指名を受けて以降、小林について常に報道されてきたのは、巨人の正捕手・阿部慎之助との比較ばかりで、小林はメディアからの“阿部二世”の合唱を受けるしかなかった。

「打」の捕手・阿部と、「守」の捕手・小林。

 改めていうが、阿部と小林ではプレースタイルが違いすぎる。

 彼らが選手として評価される部分自体が、全く異なるのだ。

 阿部が、その一打で制した試合は数え切れない。当然阿部が勝負どころで打てずに負けた試合もあるのだが、そこがクローズアップされること自体が、阿部に求められた選手像であった。逆に、阿部が守備面において問われることはさほど多くない。阿部のリードで負けた試合というのがあったとしても、世間的なイメージとして、阿部のリードが議論の中心になることはないのだ。

 どの場面で打つことができたか――。

 それが、捕手でありながらの阿部への評価だった。

 一方の小林はその逆、守備を問われる選手である。

 広陵高時代の1年冬に投手から捕手に転向。高校3年になると、正捕手で9番打者を務め、野村祐輔(広島)をリードしてきた。大学・社会人では打順を少し上げたものの、彼がその存在価値を見出してきたのは、二塁送球が常時2秒を切る強肩と場面に応じたリードができる守備面だった。

 小林のリードが勝利を引き寄せたことは多々あったし、当然、小林のリードで負けた試合というのもあった。彼を支えてきたのは、守備におけるそうした経験の数々だった。

【次ページ】 高校3年夏、甲子園決勝「佐賀のキセキ」。

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