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京都のJ2降格を重く受け止めて……。
不屈の柳沢敦、敗因と未来を語る。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byTamon Matsuzono
posted2010/11/18 10:30
鹿島や京都などの国内クラブだけでなく、サンプドリアやメッシーナという海外クラブでもプレーした柳沢敦。日本代表として2度のW杯に出場した男は、現役にこだわり続ける
こういう時こそベテランの力が必要だったのだが……。
「チームの雰囲気が悪くなったり、勝てなくなった時こそベテランの力が必要だというのは、鹿島での経験から分かっていました。京都に来て、そういうのを感じながら、それは自分の仕事のひとつだと思ってやってきたけど……なかなか難しかったです。やっぱり、一番チームの雰囲気を変えられるのは、勝利だと思うんです。でも、それがなかなか掴めなかった。ここまで可能性を信じてやってきたけど、自分の力をチームのために発揮できなかったのは、本当に残念です」
柳沢は、深刻な表情で、そう言った。
J2陥落という坂道は、一度転がり始めるとなかなか止まらないものなのだ。
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「何をしてもうまくいかなくなる……まるでアリ地獄。もがけばもがくほど転がっていった」
かつて浦和レッズがJ2に落ちた時、小野伸二はその恐さをこう語っていた。
鹿島で学んだ勝負哲学が京都には定着しなかった!?
「たしかに、(京都のJ1残留は)難しいと感じる部分はありました。ただ、ここに至るまでに残留できるポイントはいくつもあったんです。でも、勝たないといけない試合を落としたり、いい試合をしても勝てなかったり……。鹿島で優勝争いをしていた時もそういう試合を落としたら優勝できないんですけど、それとよく似ていた。そういう試合を失い、勝てなくなると選手は自信を失っていく。すると普通に出来ていたことができなくなって、どんどんドツボにはまっていく。降格を防げるだけの力はあったと思うけど、できなかったのは自分も含めて、選手が自ら招いた結果です」
秋田監督の就任以降、選手たちは本気で残留したいと思って戦っていたのだろうか。多くの選手が「最後まで諦めない」とは発言していたが、それが残念ながらプレーから伝わってこなかった。この日の浦和戦も然りだ。消極的なプレーから生まれるミスが序盤から多く、ハーフタイムには秋田監督から「何を恐れているんだ」と叱咤の言葉が飛んだ。戦う姿勢の大切さをハーフタイムでわざわざ確認しなければいけない非常事態……鹿島で学んできた秋田や柳沢にとって、これほど悔しいことはなかったはずだ。
「そのために自分がいたと思うんですけど。選手として力不足を感じています」
ベテランの意地は、チームの若手の心にはなかなか響かなかった。そして、柳沢には、厳しい宣告が下された。
11月5日、戦力外通告を受けたのである。