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“品格”よりも“言論の自由”を!?
フィンケ監督に見る個人批判の是非。
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byToshiya Kondo
posted2010/11/06 08:00
浦和レッズのフィンケ監督は来季の契約がいまだに決まらず。橋本光夫社長は11月末には結論を出したいとしているが
第27節の磐田対浦和戦後の『スカパー!』のフラッシュインタビューでのことだ。
浦和のフォルカー・フィンケ監督は、1失点目につながった山田暢久のミスについて問われると、顔をこわばらせて答えた。
「昨季、私は選手個人の名前をあげて、いろいろな経験をした。だから、個人のことについては言わない」
問題のシーンは、後半17分に起こった。
磐田のGK川口能活のロングキックを、浦和のDF山田はそのままゴールラインの外に出そうとしたが、前田遼一にボールを奪われ、ジウシーニョに同点ゴールを決められてしまった。結局、浦和は1対2で逆転負けした。
この1失点目は明らかに山田の個人的なミスであり、たとえフィンケ監督がTVインタビューで言及しても、何も問題なかったはずだ。ドイツではこういうミスに対し、「まるで小学生のようなプレー」と批判するのが常套句である。
しかし、昨季の苦い思い出が、フィンケ監督の口にブレーキをかけているのだろう。
“監督の品格”を問うのは日本的価値観のせいか?
昨年8月の広島戦後、フィンケ監督が会見で「最も怒りを感じたのはゴール前でファウルを受けたエスクデロが倒れなかったこと」と発言したところ、当時、日本サッカー協会の会長を務めていた犬飼基昭氏が「指導者の資格がない」と批判。メディアを巻き込んだ大騒動に発展した。
ファウルがあったのなら倒れても何ら問題はないはずだが、犬飼前会長は“敗因を選手に押しつけている”と拡大解釈し、監督としての品格を問うたのである。それ以来、フィンケ監督は公の場で当たり障りのないことしか言わないようになり、会見が実につまらないものになってしまった。
これは極端な例だが、「選手個人のミスを手厳しく追及しない」という傾向は、日本の場合、指導者にもクラブ関係者にもメディアにも見られるような気がする。監督が会見で個人のミスを責めることは、「潔くない」とか「責任転嫁している」という価値観があるからかもしれない。
だが、ミスをミスとして批評しなければ、サッカー文化は成熟しづらいだろう。
もちろん試合を見たサポーターは誰がミスしたかよくわかっているだろうが、メディアを通して情報を得る人にとっては、きちんと個人も批判されていなければ、本当の敗因を知ることができなくなってしまう。すべてを監督の戦術のせいにするのは簡単だが、サッカーはそれほど単純ではない。