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<長嶋巨人、松井秀喜攻略法を語る> 野村克也 「絶対に負けたくない敵だった」
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byDaisaku Nishimiya
posted2013/05/17 06:00
'90年代、松井を主軸に据えた長嶋巨人軍に、大きな壁として
立ちふさがったのが、「ID野球」の野村ヤクルトだった。
稀代の知将が感じた2人の凄み、そしてその攻略法とは――。
立ちふさがったのが、「ID野球」の野村ヤクルトだった。
稀代の知将が感じた2人の凄み、そしてその攻略法とは――。
長嶋茂雄と松井秀喜がそろって国民栄誉賞を受賞した。
野球界では王貞治、衣笠祥雄につづく受賞である。ジャイアンツという人気チームでつねにファンとマスコミの大きな注目を集め、それに応えるプレーを見せてきた長嶋。その長嶋に手塩にかけて育てられ、メジャーリーグでも名門ヤンキースの中心として活躍した松井。国民栄誉賞がどんな基準で与えられるのかは、私などにはわからないが、ふたりの受賞は多くの人が納得するものだろう。
人づてに聞いたのだが、ふたりの受賞が決まったとき、「残した数字でいうなら野村にも賞を与えてよいのではないか」という声があったそうだ。私自身はとても賞に値するなどとは思っていないが、こうした声をいただけたのは名誉なことだと思っている。
長嶋が監督として指揮を執り、松井がジャイアンツの中軸に座っていたのは1993年から2001年まで。これは私がスワローズ、タイガースの監督をしていた時期と重なる。
当時のジャイアンツは松井だけでなく、落合博満、清原和博など他チームの主軸をつぎつぎに獲得し、巨大戦力を作り上げていた。その巨大戦力に戦いを挑み、リーグ優勝4回、日本一3回という成績を残せたことは、私にとって大きな誇りだ。