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競泳界のエースは北京の蹉跌を胸に。
入江陵介と古賀淳也が五輪再挑戦。 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byTakao Fujita

posted2010/07/22 10:30

競泳界のエースは北京の蹉跌を胸に。入江陵介と古賀淳也が五輪再挑戦。<Number Web> photograph by Takao Fujita

今月から日本オリンピック協会(JOC)のシンボルアスリートとなった入江陵介と古賀淳也。2人は14日、パンパシフィック選手権の高知合宿のため、アメリカ・アリゾナへ旅立った

 挫折から立ち上がれない選手がいれば、挫折を転機に大きくなる選手もいる。

 2人の背泳ぎの選手は、その後者の代表といってよいかもしれない。入江陵介と古賀淳也である。昨年の世界選手権で入江は200mで銀メダル、古賀は100mで金メダルを獲得したことが物語るように、日本競泳の中心的存在である。

 2人は、2008年の「北京五輪」を機に、エース格に成長した。

北京の屈辱が入江に世界選手権の銀メダルをもたらした。

 入江にとっての北京五輪は、苦い思いの残る大会だった。'06年のドーハ・アジア大会での200m優勝を皮切りに、泳ぐごとに、といってよいほど何度も自己ベストを更新し続けた入江は、オリンピックを世界ランク4位で迎えた。表彰台を期待されてもおかしくない立場にいた。

 だが、結果は5位。初出場、しかも18歳であることを考えれば一定の評価に値すると言えたが、当の本人にとっては納得のいくものではなかった。周囲の「残念だったね」という声も追い討ちをかけた。帰国後は、人に会いたくない心境に陥った。実際、家から出ない時期もあったと言う。

 失意の一方で、「この借りを返したい」という強い思いも心に沸き起こっていた。また、北島康介らを見て、「自分も、ああなりたい」と感じてもいた。国内の大会に出場するごとに、徐々に気持ちを前へ向けられるようになると、悔しさをバネに練習に励んだ。09年、その成果が表れる。水着の問題から非公認とはなったが、日豪対抗の200mで世界記録を破るタイムをマーク。その後の世界選手権200mでオリンピック、世界選手権を通じて初のメダルとなる銀メダルを手にしたのである。

五輪出場を逃した古賀から水泳への情熱が消えた日。

 古賀は7月19日に23歳の誕生日を迎え、入江の3つ歳上にあたる。この1年半で大きな飛躍を遂げた選手である。

 早くから将来を嘱望されながら伸び悩んでいた古賀の転機となったのは、'08年のことだった。その年の4月、日本選手権で敗れて北京五輪代表を逃すと、古賀は、突如、髪を染め、耳にピアスをつけて周囲を驚かせた。

「ただ目立ちたかったから」

 と、当時を振り返っているが、それと軌を一にして、練習にも力が入らなくなっていった。目標だったオリンピック出場を逃し、情熱を失ったのである。

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