野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
伊東勤、ロッテ監督就任の衝撃。
60年前の恐怖の因縁、復活か!?
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byKyodo News
posted2012/12/17 10:30
ロッテ監督就任にあたって「日本一を勝ち取れるチームを作る。派手さは不要、守り勝つ野球をやりたい」と語った伊東氏。重光昭夫オーナー代行は「我々、千葉ロッテマリーンズも目指すべきは常勝チームを作り上げることです」と言葉を添えた。
ことを遡れば、ちょうど60年の昔。
1952年7月16日。それは雨天の平和台球場において行われた、西鉄ライオンズvs.毎日オリオンズでのこと。日没によるノーゲームを狙った毎日・湯浅禎夫総監督による4回裏からの明らかな遅延行為が平和台のファンの逆鱗に触れ、ノーゲーム宣告後にライオンズファンが暴徒と化して毎日の選手を襲撃した、いわゆる「平和台事件」からはじまった因縁だと言われている。
そして'70年代。黒い霧事件で揺れたライオンズは、人気回復にその遺恨を活用する。
当時のロッテオリオンズ・金田監督に「スタンドを刺激してほしい」とライオンズのフロントが依頼。世紀のエンターテイナーであるカネやんはもちろん快諾し、太平洋クラブライオンズ監督の盟友・稲尾監督と舌戦を繰り広げ、大いに西鉄ファンを刺激。「田舎モノ」「●●●」「●●●●」など期待以上の罵詈雑言を浴びせると、スタンドの西鉄ファンはエキサイト。壮絶な野次やらゴミやら投げ掛けると、カネやんも砂を投げ返し、バットで殴り掛かろうとする大ヒール役を演じるという……。
いや、もうこの時はカネやんも本気で怒ってしまっていたという嘘から出たマコトは、その後、球場に福岡県警の機動隊が出動するハメとなり、カネやん名勝負数え歌のひとつ、vs.ビュフォードの乱闘騒ぎを生み、悪ノリした太平洋フロントがその画に「今日も博多に血の雨が降る」なんて煽りコピーを入れたポスターを作ると、福岡県警が「あんたが煽ってどうすんじゃい」と警備撤退を申し入れる事態にまで発展。太平洋フロントはすぐにポスターを回収するも、火に油を注がれたファンはどうしようもなくヒートアップ。平和台なんて名とはウラハラ、罵声とモノが飛び交い、ロッテナインはヘルメットを被って守備に着き、球場からは装甲車で脱出するというブラックホークダウン状態へ。
最終的には福岡県警に怒られ、パ・リーグからは厳重注意を受け停戦に持ち込まれるという、プロレス顔負けの凄まじい歴史があったのである。
「平和台事件」からくすぶり続ける西武とロッテの遺恨。
その後、ライオンズが埼玉へ移転した後も、文化放送ではこの対決を「パ・リーグ関東ダービー」と銘打ってみたりと、遺恨めいたものはなんとなく続いていく。
細かいことを挙げていけば……'80年代にはライオンズの永久欠番・稲尾氏がロッテの監督に就任するできごともあった。
稲尾氏の著書によると、裏ではロッテオリオンズの福岡移転の話があったようだが、その約束は反故にされ結局千葉に移転ということに。そこから、平成の名勝負と言われた伊良部秀輝vs.清原和博、いや、やっぱりそこは平沼定晴vs.清原のニーパット対決が生まれたり。最近じゃマリンで神戸拓光がホームラン打ってM字開脚パフォーマンスしたら、涌井秀章に当てられて乱闘なんてことも。タイトル争いでは'98年最終戦の盗塁王を巡る小坂誠vs.松井稼頭央の泥沼合戦、今季最後の対決でも首位打者を角中勝也に獲らせるために追う中島裕之を敬遠してブーイングにまみれたりと、とにかくこの2チームには因縁が多い。