プロ野球亭日乗BACK NUMBER
清武vs.読売の訴訟合戦第2ラウンド。
彼らに真のジャーナリズムはあるか。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byToshiya Kondo
posted2012/05/27 08:01
昨年11月にも外国人記者クラブで会見を開いた清武・前巨人代表。「渡邉会長は初めて(裁判で)負けるかも」と自信をのぞかせていた。
清武と関わるな──読売側の威嚇の意図も見え隠れする。
と、同時に今回の出版差し止めの訴えの背景には別の狙いもあるようだ。
一つは新潮社版では筆者名を「読売新聞社会部」としたものを、今回の復刻版では「読売社会部清武班」と変えている点(この点に関しても契約段階では読売側も了承していた)への反発。そしてもう一つは今回の一件だけでなく、清武氏と関わることに対しての警告という側面もあるだろう。
おそらく復刻版が出版されても、清武氏にとって印税面では大きな収入になるわけではない。ただ、出版されることで読売新聞社会部ではなく「清武班」という部分がクローズアップされることを、読売側は許さないのだろう。そしてとにかく清武氏と関わることは面倒を抱える、ということを訴訟を通じて世間に知らしめる。
そこに意味があるわけだ。
ナベツネにモノ言えない読売の病巣を佐高氏は指摘。
「今回の訴訟が七つ森書館という小さな出版社にとってどれだけ大きな負担になるかを読売新聞社は分かっていると思う。しかも最初に(七つ森書館に)300万円でこの出版物を出さないで欲しいと元社会部の人間が言ってきた」
清武氏は会見でこんな暴露もしている。
要は取材と原稿で批判するのではなく、裁判という社会的な権威システムを使って憎っくき相手を追いこむ――渡邉主筆の号令一下で起こされたこの2つの訴訟は、勝つことだけではなく、こうして社会的に清武氏を抹殺することに目的があるわけだ。
「新聞社が普通の会社と同じでは困ると思っていた」
会見で佐高氏はこうも語っている。
「しかし残念ながら(読売新聞社は)そうなっている。ワンマンが君臨し、そのワンマンに対してチェックが働かない。これではオリンパスや大王製紙と同じである。この本の問題は渡邉恒雄氏の問題ではなく、ナベツネにモノが言えない記者の問題なのです。ドンの下にミニドンが連なる悲しい構図に、大マスコミもなっている」
ただ、こんな言葉を聞きながら、複雑な気持ちで思い出していたのは、実は巨人時代の清武氏のことだった。