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京急線とともに旧東海道を下りつつ、
古い“地名”に思いを馳せてみた。 

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疋田智

疋田智Satoshi Hikita

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photograph bySatoshi Hikita

posted2012/05/30 06:00

京急線とともに旧東海道を下りつつ、古い“地名”に思いを馳せてみた。<Number Web> photograph by Satoshi Hikita

江戸における交通の要所だった品川宿。最近では羽田空港の国際化にともなって、世界に開かれた東京の玄関口としての機能も持つようになり、改めて活気づいてきています。

蒲田と言えば……なんでしょう?

 さて、梅屋敷の次が、東京南部最大の繁華街・蒲田(駅名・京急蒲田)である。蒲田行進曲の蒲田。JR蒲田車両基地の蒲田。蒲田温泉(黒湯が出る)の蒲田。

 いやまあ私は好きな街ですよ。本気で。物価が安い。B級グルメが充実している。しかし、どうにもイメージがダサ方面を向いているとはいわざるを得ない。

 このあたりを走る東急線など、従来は「目蒲線」だった名前(もちろん目黒・蒲田をつなぐ路線だから)を「目黒線」と「東急多摩川線」に分けて「蒲」の字を排除してしまった。

 東急に聞けば否定することだろうけど、私は「オシャレな東急沿線」イメージを保持するために、あえて「蒲」の字を外してしまったのではないかと疑っている。

 まあいい。梅屋敷から蒲田に向かうと、まず驚くのは庭の向こうの、白亜の巨大ビルだ。最初見たとき、私は絶対に何らかの宗教施設だと思った。

 が、さにあらず。ここは日本工学院の本部ビルなのだ。ふーむ、この威容。「蒲田と言えば日本工学院」という人も多いのかもしれないな。

 もうひとつ「蒲田といえば」の固有名詞を出すなら、なにをおいても、これはユザワヤである。

 もう何号店まであるのだろうか、駅のホームから見ても、羊のマークのビルだらけ。いずれも毛糸や編み棒などを売る手芸の店ユザワヤから発展した。

 個人的なことで言えば、実は私の母親が手芸マニア、というか、編み物の先生なんで、学生時代から「ユザワヤ」の語には聞き馴染みがあった。

 今となっては、全国各地に支店があるらしいんだけれど、蒲田こそが、その総本山、つまり、この蒲田こそ、全国の編み物マニア、手芸マニアの聖地なのである。

 見ていると、上品なご婦人と、ちょっと金髪の娘ッ子が店に入っていく。

 聞けば、昨今のユザワヤファンは二極分化しているのだそうだ。昔ながらの編み物手芸層(この例えで上品なご婦人?)と、ユニクロやしまむらの服に、ちょっと一手間加え、デコレーションする層(これが娘ッ子?)。おかげでユザワヤは全国で大ヒット中だ。

東京といえば、「西六郷少年少女合唱団」だったのだ!

 さて、そのユザワヤの蒲田を過ぎて、南に行くと、話は六郷土手に移る。京急の駅名もそうなる。土手は多摩川の土手。六郷といえば。そうそう、この「大田区・六郷」という地名から、読者諸氏は何を想像されるだろうか。私(および私の世代の一部)は、だんぜん「少年少女合唱団」だと思うのだ。

 西六郷少年少女合唱団、東六郷……、と、いずれもNHKの「みんなのうた」で、さかんにコールされた名前だった。

 だから、宮崎県日南市の田舎少年だった私にとって「六郷」というのは、いかにも東京、いかにも都会だった。「西六郷少年少女合唱団」なんていうと、それこそ、いかにも都会ッ子で、洗練されてて、お勉強のできそうなタイプがそろった、なんとも羨ましくも、妬ましい集団だと思ったものだ。

 それが、この六郷。

 うーむ、今見ると、普通の庶民的、平均的な住宅地である。少年時代にこれを知っていたら、余計なコンプレックスを持たずにすんだものを(笑)。

 土手を上ると、おお、多摩川。

 東京と神奈川を隔てる大河だ。最近は、沿岸の関係各者さまざまな努力がみのり、水質が改善されて、アユやウグイなどの魚が戻ってきたという。

 ここを渡れば、すぐに川崎市。川の向こうに高層ビル群が見える。ちょうど陽も落ちてきて、オレンジ色に色づく河川敷が美しい。川を渡る風は、肌に優しく、汗が適度なスピードで乾いていく。

 江戸はここで終わり、街道・東海道は、実質的にここから始まる。

 ということで、今回のTOKYOルート24は、ここで一応終了ということになるのである。

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