自転車ツーキニストのTOKYOルート24BACK NUMBER
京急線とともに旧東海道を下りつつ、
古い“地名”に思いを馳せてみた。
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2012/05/30 06:00
江戸における交通の要所だった品川宿。最近では羽田空港の国際化にともなって、世界に開かれた東京の玄関口としての機能も持つようになり、改めて活気づいてきています。
吉原は日本屈指のソープランド街になったが、品川は?
品川は吉原と並んで代表的な江戸の岡場所(遊郭)だった。
「居残り佐平次」など、数々の落語の舞台にもなっていたりする。ちなみに「佐平治」は映画「幕末太陽傳」のモデルとなった噺。あっけらかんと馬鹿馬鹿しくて、私はけっこう好き。
宿場町だけに、遊女たちは「飯盛女」と呼ばれた。
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最盛期には、飯盛女、1300人を超えていて、昭和33年の売春防止法施行まで、続いたという。
今となっては、どのあたりなんだろう。
自転車でしばらく巡ってみたが、よく分からなかった。吉原という場所が、そのまま日本屈指のソープランド街になっているのと較べると、品川には特に「ここ」という跡地がない。
人形町や、洲崎のように「そういえばテイストが若干……」という痕跡すらない。
品川には大仏もあれば、あの“泪橋”まである!
さて、旧東海道は、道幅が適当だからか、自転車が多いぞ。クルマの方が遠慮しながら走っているという風情がある。クルマは新東海道(国道15号線)、自転車は旧東海道、と、棲み分けができているのかもしれん。
自転車といっても、もちろん大多数を占めるのはママチャリなわけだが、いやはや、便利な一方で、交通ルールは守られてないね。まーったく。
一言でいうと、左右がデタラメだ。真っ正面から買い物オバちゃんが、そのまま突っ込んでくる。
お互いに避ける方向も、ある時は左だが、ある時は右。皆が臨機応変に(精一杯よくいうと)だ。非常に運動神経が必要とされる道路なのである。
本来「自転車は左側通行」を周知するだけで、走りやすい路になると思うんだけどね、ここ。
旧東海道沿い、品川寺には、大きな銅製のお地蔵さまがある。江戸時代に建立された。見るからに「品川大仏」。しかし仏様じゃない。地蔵は菩薩。
続いて目の前に川があらわれる。
川の名が「立会川」。おお、これまた京急線の駅名のひとつだ。で、その立会川に架かる橋の名前が「浜川橋」別名「泪橋」という。
泪橋?
そう、北にもあるが、ここにもある。名付けの構図はまったく同じだ。北の有名な泪橋(台東区)は、近くに小塚原刑場があった。こっちの泪橋の先にも鈴ヶ森刑場があるのだ。
これらの仕置き場(刑場)に向かう途中、裸馬に乗せられた罪人は、この橋を渡った。罪人本人にとっては、この世の見納めの場であり、その親族などにとっては、処刑される者との別れの場だ。その双方がここで涙を流したことで、橋の名が付いた。
現在の泪橋は、鉄筋コンクリート製の、単なる「ちょっと古い橋(昭和9年竣工)」だ。川は低層マンションの間を縫うように流れていく。
かつてのこのあたりは、葦の生い茂る草深い荒れ地で、刑場が似合う寂しい場所だったという。