野ボール横丁BACK NUMBER
やられたら絶対にやり返す男――。
広島1位入団・野村祐輔の反骨魂。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byTadashi Hosoda
posted2011/12/17 08:03
2010年秋季リーグで最優秀防御率賞を受賞した時の野村祐輔(左)と、首位打者に輝いた広陵の元チームメイトでもある土生翔平(早稲田)。広島にドラフトで4位指名され入団を躊躇していた土生に、野村が「来いよ」と誘い、11月半ばには土生も広島と契約を交わした
大学入学前に下半身を強化して、球威に磨きをかけた。
高校球史に残る逆転負けと、憧れ続けたチームからの拒絶。だが、野村にはその大きな2つのマイナスをプラスに転じさせる力があった。
野村は、もっとも成長する十代後半の時期を無駄にしなかった。高校3年の秋から冬にかけ、気を緩めることなく、下級生と一緒のトレーニングメニューをこなした。そして年が明けるころには、60キロ台前半しかなかった体重は、一気に70キロ台に乗った。
結果、これまでにない感覚を手に入れた。
「ほんと、楽になりましたよ。これまでは一生懸命投げて140キロぐらいだったのが、軽く投げても140キロのボールが行くようになった。体重が増えると、あんなに変わるもんだとは知らなかった」
“30勝300奪三振”をマークし、大学球界の頂点に。
そんな野村の大学デビューは衝撃的だった。
1年春からリリーフとして早くもベンチ入りし、続く秋には主に抑えとして大活躍し、リーグ史上5人目となる防御率0.00を記録した。その頃の野村は、ほぼ真っ直ぐとスライダーだけで、点を与えないどころか、バットにすらほとんど触れさせなかった。それくらい制球力とキレが抜群だった。
大学2年からは明大のエース番号「11」を継ぎ、先発中心の起用となる。
野村のクライマックスは大学4年秋だった。
個人記録としては、自身最多となるシーズン6勝を挙げ、早大の斎藤佑樹(日本ハム)以来、リーグ史上7人目となる30勝300奪三振をマーク。ただし、2年時から先発が増えたことを考えると、入学当初から先発していた斎藤よりも評価されていい数字だ。
さらに、自身3度目となるリーグ優勝に導き、続く明治神宮野球大会では念願だった大学球界の頂点にまで立った。
野村は、大学4年間で辛酸をなめさせられた早大の前に何度となく立ちはだかり、また、4年がかりで高校3年夏の悔しさを晴らしたのだ。