野ボール横丁BACK NUMBER
やられたら絶対にやり返す男――。
広島1位入団・野村祐輔の反骨魂。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byTadashi Hosoda
posted2011/12/17 08:03
2010年秋季リーグで最優秀防御率賞を受賞した時の野村祐輔(左)と、首位打者に輝いた広陵の元チームメイトでもある土生翔平(早稲田)。広島にドラフトで4位指名され入団を躊躇していた土生に、野村が「来いよ」と誘い、11月半ばには土生も広島と契約を交わした
完璧な4年間。
そう言っていいのではないだろうか。
この秋のドラフト会議で、広島から1位指名を受けた野村祐輔の明治大での4年間のことだ。
野村といえば、真っ先に思い出すのは、'07年夏の甲子園の決勝戦だ。広陵のエースだった野村は、ダークホースの佐賀北高校を7回まで1安打無失点に抑えていた。スコアは、4-0。誰もが広陵の優勝を確信していた。
ところが、8回裏、満塁から微妙な判定で押し出し四球を与え、直後、逆転満塁ホームランを浴びてしまう。
まさかの逆転負けだった。
そのときのことを聞いたのは、大学1年の春、明大に入学し間もない頃だった。
当時の映像を流しながら振り返ってもらったのだが、野村の口は、鋼鉄製の錠前がついているかのごとく重かった。そして、その錠を外そうものなら、たちまち声が震え出し、大粒の涙が落ちそうだった。
「フフフ。ぜんぜんですよ。大丈夫です」
その表情だけでも、野村の内面の強さと脆さは十分うかがえた。
ただし、決して無愛想なわけではない。取材後、思い出したくないことを聞いてしまったことを謝罪すると、こう言って笑った。
「フフフ。ぜんぜんですよ。大丈夫です」
これは後から知ったことだったのだが、そんな屈辱を体験した数週間後、野村は続けざまに挫折を味わっていた。
というのも、そもそも野村は早稲田大進学を希望していた。ところが、セレクションで落選。他の推薦制度を利用して早大を再受験する方法もあったが、野村は敢えてライバル校である明治大を選んだ。
「一度、いらないって言われたわけですからね。だったら、自分を本当に必要としてくれるところでやりたかった」
感受性の強い野村らしい身の処し方だった。