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なぜソフトボールからプロ野球へ?
日本ハムのルーキー大嶋匠の世界。 

text by

永田遼太郎

永田遼太郎Ryotaro Nagata

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photograph byNIKKAN SPORTS/AFLO

posted2011/12/20 10:30

なぜソフトボールからプロ野球へ?日本ハムのルーキー大嶋匠の世界。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS/AFLO

ドラフト会議直後の大嶋匠。右手に大きなソフトボール、左手にプロ野球の硬球を握って、喜びのポーズ

 ソフトボールの選手がプロ野球の選手へ。

 現時点でそれはファンタジーの世界の話だといわざるをえない。過去の記録を辿ってみても他競技からのプロ球界入りは大成した例がない。

 100m走、槍投げ、レスリング……。

 そのうち1軍公式戦に出場したのは1968年に100m走から転向した飯島秀雄(元東京オリオンズ)とレスリングから転向した桂本和夫のふたりだけだ。飯島はプロ3年間で通算117試合の出場を果たすも打席に立った経験は一度もなく、完全な代走要員として起用され3年後には球界を去った。桂本もプロ4年間で出場したのはわずか9試合。プロ初安打をあげた1958年のシーズンにはなぜかレスリングに復帰し東京アジア大会で優勝を収めている。これを成功と呼べるかどうか……。

 今年のドラフト会議で北海道日本ハムがソフトボール出身の大嶋匠を指名した際も、「またか……」という思いが先に来た。

 ドラフト下位指名での話題稼ぎ、そう感じたのだ。

ドラフトでの7位指名は入団テストの合格発表がわり!?

 調べてみると今回のプロ入りは大嶋が北海道日本ハムの入団テストを受験したのがきっかけだった。その合格発表がドラフト会議の席上で行われたというわけだ。

 大嶋は自分の名前が呼ばれたとき半信半疑の状態だったという。

 彼の出身は群馬県の新島学園。野球ファンにはあまり馴染みのない高校だ。それもそのはず、この学園に硬式野球部は存在しない。大嶋はこの中等部から高等部まで、この学園に在籍した6年間をソフトボールに捧げた。高校時代は高校総体、国体で優勝するなどソフトボールでは確かな実績を残した。

 早稲田大学進学後もソフトボールを続け、2008年にはU-19日本代表にも選ばれ国際大会に出場。大学リーグの公式戦では13試合連続本塁打の記録まで残している。

 当然、大嶋のもとには社会人ソフトボールのチームからいくつかの誘いが来ていた。

 しかし、大嶋は野球を選んだ。

もしもソフトボールではなく野球を選んでいたら……。

「なぜ?」

 実は、大嶋はプロテスト受験を前に、社会人野球のセガサミーの門を叩いていた。

 社会人の選手たちに混じりながら同じ練習で汗を流し、北海道日本ハムの入団テストに備えていたのだ。ソフトボールとプロ野球をつなぐ“ミッシングリンク”となるはずの、このセガサミー野球部の現場で、大嶋の実像を調べてみることにした。

「なんで、野球なのって自分も聞きました。そしたら『ソフトボールにはプロがないから』と彼は言ったんですよ」(セガサミー野球部・西詰嘉明監督)

 中学から大学までソフトボール一筋だった大嶋。大学でパワーも身につけて長打力に磨きがかかると、その力がプロ野球の世界でどれだけ通用するか、想像するようになっていたという。

 野球とソフトボールは似て非なるものだ。彼もその違いは理解している。しかし、もしも自分がソフトボールではなく野球の道に進んでいたら……。

 言うなれば、最初は記念受験のようなものだったのだ。

【次ページ】 社会人野球の練習でも柵越えを連発した規格外のパワー。

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