今週のベッカムBACK NUMBER
天才に囲まれてプレーする喜び。
text by
木村浩嗣Hirotsugu Kimura
photograph byTomohiko Suzui
posted2004/02/05 00:00
ベッカムは金では動かない。
あのアブラモビッチが、移籍金6000万ポンド(約117億6000万円)で獲得に乗り出すが、本人は「レアルへ移籍したのはジダン、フィーゴら偉大な選手とプレーするため。金のためではない」と、完全否定しているという。
偉い! 金よりもジダンやフィーゴを選んだ。とはいえ、この発言が“「金」よりも「友情」や「チーム愛」が大事だ!”という風な美談や浪花節だとは、私はまったく思わない。
たとえば、ベッカムが金と名誉を捨て、サラマンカ(2部リーグ。私の地元チーム)残留を主張するなら、そりゃ美談だろう。もし、チェルシーにジダンやフィーゴ、ロナウドがいれば、ベッカムは大金を手にして大喜びで移籍する、と私は思う。プロならば当然の判断だ。サッカー選手が金や名声よりも、チーム愛を優先するロマンチックな時代は、とっくに終わっている。
ベッカムを動かしたものは金(だけ)ではない。彼は天才たちとのプレーを望んだ。
サッカーにおける天才とは何か? 私はプレーの精度の高さだと思う。
天才ロナウドを例に挙げる。
18ゴールで得点王(2/4現在)を独走する彼は、最近の試合でほぼ3、4本のシュートに1点の割合でゴールを決めている。昨季の得点王(29ゴール)・マカーイ(バイエルン)のシュート数に対するゴールの割合は21%だったから、これは驚くべき数字だ。この驚異的な決定力は、動いているボールに適切な角度で足を当てる、という技術の驚異的な精度にほかならない。天才は外さない、天才はミスをしないのだ。
さらによく見ると、最近のロナウドのゴールには、一つのパターンがある。
左サイドのペナルティーエリア付近の縦パスを受け、スピードで抜け出し、またぎフェイントでマーカーやキーパーを抜いて、角度のないところから決める、というものだ。ロナウドが待っているポイントへ、絶妙なタイミングで速い正確なスルーを出すのが、ジダン、フィーゴ、そしてベッカムらのやはり天才なのだ。彼らの高精度のパスなくしては、ロナウドの驚異的な決定力はあり得ない。
必ずしも好調ではないレアル・マドリーが首位を走っているのは、少ないチャンスを確実に得点に結びつけるから。その決定力の高さの裏には、パス、ドリブル、アシスト、シュートの各場面にかかわる、天才たちの精度の高い技術がある。
もし、ベッカムのラストパスを受けるのが、ラウールやロナウドでなかったら、アシスト数(5)は激減していたはずだ。そして、もしベッカムのパスを受けて、ラストパスを出すのがジダンやフィーゴでなかったら、そのほとんどがゴールに終わることはなかったはずだ。
ゴールはサッカーの花(華)である。
素晴らしいプレーも最後にネットを揺らしてこそ、ファンやマスコミの注目を集める。ゴールが花だとすれば、アシストは花瓶であり、その一つ前のパスはいわば背景を飾る壁紙だ。花瓶と壁紙だけでは絵にならない。ゴールなくしては、美としても芸術としても成立しないのだ。驚きのサイドチェンジ、完璧なアシストも、肝心のシュートが月に向かって飛んでいっては台無し。その映像が世界を駆け巡ることは決してない。
右ボランチとしてディフェンダーの前でプレーするベッカムは、アシストよりも、その一つ前のパス――攻守の切り替えとなるパス――を出すのが主な仕事だ。つまり本職は地味な壁紙職人なのだ。だからこそ、花瓶を選び、花を活けてくれる天才たちがベッカムには必要なのだ。
たとえば、彼がサラマンカと言わず、噂のあったバルセロナに移籍していたら、今のようなスターにはとてもなれなかっただろう。センターフォワード不在でゴール不足に悩むバルセロナではアシスト数は半減。フリーキックで注目を集めるのがやっとだったのではないか。首位を争うチームと4位争いのチーム、チャンピオンズリーグ参戦中のチームとUEFAカップ参戦中のチームでは、メディアの露出度も雲泥の差だったに違いない。
キャリア面でも、注目度という点でも、天才に囲まれてプレーする喜びを満喫しているベッカム。いくら金を積まれてもチェルシーに行くわけがない。