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未完の完全試合。 山井大介“決断”の理由
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byToshiya Kondo
posted2008/04/03 17:03
「自分に完全試合達成目前という投球をさせてくれているのは味方の力、特に守備のおかげでした。セギノールのショートへのヒット性のあたりを井端(弘和)さんが難なくさばいたのは、偶然ではなく、事前にセギノールの打球の傾向を研究し尽くして、可能性の高い場所に守っていたからなんです。ほかの守りにしてもみんなそう。ずっと積み重ねてきた努力がファインプレーになって、ぼくの投球を支えてくれていた。だからこそ、最後は、シーズンを通して抑えの役目を果たしてきた岩瀬さんで終わるべきだと」
ただ、どれだけ理屈を並べても、それは無理矢理自分を納得させるための方便かもしれない。投手としての本能は、完全な白紙委任状を出すことを拒んでいた。
「結論は岩瀬さんへのリレーでしたが、それを、あえて自分から言い出すことは、やはりできませんでした」
8回表も抑えてベンチに戻る。交代を申し出るべきタイミングだったが、自分からは動き出せない。そこに再び森コーチが声をかけていた。
「どうするって聞かれました」
決断を山井に委ねているように聞こえるが、森ほどのベテランなら、あるいは山井の心を見抜いていたかもしれない。交代したい気持ちはあるが、自分からは言い出せないという、きわめて人間くさい心のうちを。聞きようによっては、完全試合進行中の投手に「どうする」というのは非情な問いに思えるが、このときの山井には葛藤から解放してくれる救いの声にも聞こえた。
「どうする」と聞いたのは、森の独断ではなく、落合博満監督の意向だろう。おそらく、監督は森が山井に尋ねた時点で、「岩瀬に代えて確実に勝ちに行く」と考えていたのだ。
「代えてください。おねがいします」
そう山井が答えた時点で、日本シリーズ史上初の完全試合が消えた。
交代を申し出たあと、山井は自問していた。
「オレってどういう人間なんだろう。選択した道は正しい。でも、完全試合を途中で降りるなんて。しかも自分で申し出て。考えれば考えるほどわからなくなりました」
8回裏のドラゴンズの攻撃が2死になっても、山井はダグアウトから出てこない。ナゴヤドームは優勝に向けての興奮が高まっていたが、試合を見ている人の中には、ベンチ前の異変に気づいた人もいた。
「山井が出てこないぞ、どうしたんだ」
8回裏が終わり、場内アナウンスが投手交代を告げると、場内は優勝目前の興奮とは違う、異様などよめきに包まれ、やがてそれは人の名を呼ぶコールに変わった。
「ヤマイ、ヤマイ」
コールは、ロッカールームに引っ込んでいる山井の耳にも届いた。
「うれしかったですよ。鳥肌が立った。あれだけの投球ができたのは、ファンの人たちの後押しがあったからなんだって、コールを聞いて実感した」
ロッカールームには出番のない投手が数人いた。
「おまえ、ほんまに投げられんのか」
怪訝そうに尋ねるチームメイトもいたが、あいまいな表情でうなずくしかできなかった。
異常な興奮の中、山井に代ってマウンドに立った岩瀬は、いつものように、ごく簡単に、つづけて3つアウトを取って試合を終わらせた。日本一が決まった。
「あの場面の岩瀬さん、すごいですよ。信じられないくらいの精神力。自分なら、あんな形でリレーされたら、まず最初に四球を出していたでしょう。それをなにごともなかったように抑えるんですから」
監督の胴上げには出遅れたが、両手を差し上げ、歓喜しながら、「日本一になったなあ」と思った。いつの間にか涙が流れていたのに気づいた。しかしそれもほんの短い間で、表彰式になり、優秀選手賞を与えられるころには、もうすっかり笑顔になっていた。