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未完の完全試合。 山井大介“決断”の理由
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byToshiya Kondo
posted2008/04/03 17:03
“不可解”とされた交代劇ばかりが取り沙汰された、2007年日本シリーズ優勝決定戦。チームか、個人か。揺れ続けながら山井が投じた86球は、あの日なによりも美しかった。
その日、山井大介は新しいソックスを下ろした。大学や社会人のころ、優勝のかかったような大事な試合には、一度も履いていない新しいソックスで臨むことにしていた。ちょっとした験である。
「でも、プロに入ってからは止めていました。プロで大事じゃない試合なんてありませんからね。全部の試合に新しいソックスを履くのはちょっともったいないし」
だが、この日は迷うことなく新しいソックスを履くことに決めた。日本シリーズ第5戦。チームは3勝1敗と王手をかけている。この日勝てば、53年ぶりの日本一が手に入る。その試合に自分が先発する。ダイヤをちりばめたソックスを履いたって不自然ではない。
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前の年の同じ時期は肩を痛めて先発どころか一軍にさえいなかった。復帰したのは2007年のシーズン半ばを過ぎた7月。夏場から徐々にコンディションがよくなり、8月、9月で6勝、特に9月は4勝をあげてクライマックスシリーズ進出に貢献した。
当然、クライマックスシリーズでの活躍も期待されたが、タイガース、ジャイアンツを相手に戦った5試合では一度も出番がなかった。
「クライマックスシリーズのはじまる直前、肩に引っかかりを感じたんです。少し様子を見たんですが、結局チームに迷惑がかかると思い、タイガースとのシリーズがはじまる前に森(繁和)コーチに申告し、登板しないことになりました。前の年にやったような重い痛みではなかったので、投げられたかもしれないですが、無理をして日本シリーズまで進んだときチームに迷惑をかけたらまずいと思って。当然悔しさはありましたし、申し訳ない気持ちも強かったですね」
幸い肩の違和感は軽症で日本シリーズには間に合った。
「借りを返そう」
シリーズに懸ける気持ちは人一倍だった。
日本シリーズ第5戦の先発は開幕の3、4日前にいわれた。4試合での決着もありうるが、第2戦にチームが1勝1敗に持ち込んだので登板が確定した。
もし本格的に先発マウンドに上がるとすれば、ペナントレース中の10月7日以来だから3週間以上間隔を置くことになる。当然調整はむずかしい。特に初回の入り方が不安だった。
「でもあんまり考えないようにしました。シリーズ前に、二軍のフェニックスリーグでテスト登板していい感じだったし、シリーズも3勝1敗とリードしている。自分で落としても、調子のいい川上(憲伸)さんや中田(賢一)が残っている。最初からぶっ飛ばして、行けるだけ行ってやれって」
新しいソックスで球場に入った。クルマで来る途中、早くも観客が集まりだしているのに気がついた。まだ開門までは2時間以上もある。その雰囲気で特別な試合であることが感じられた。
「自分では、特に緊張しているようには思わなかったです。ただ、あとで考えると、トイレに行く回数がいつもよりかなり多かった。先発する試合ではトイレに行くと落ち着くので、回数が多かったのはやはり緊張していたせいかもしれません」
飛ばすだけといっても、やはり投球プランは組み立てていた。
「誰の前にも走者を出さないといったこと。特に森本(稀哲)、田中賢介の1、2番と5番の工藤(隆人)は出すとうるさいので気をつけようと」
相手の先発はダルビッシュ有。シリーズ第1戦では13三振を奪って1失点完投勝利を飾っている。というよりも、2007年時点で日本一打ちづらい投手である。
「当然ダルビッシュですから、こちらも1、2点で抑えたいという気はありました。ただ試合がはじまると、あまりダルビッシュのことは考えませんでしたね」
四球は出すまい。テンポ良く投げよう。本塁打のあるセギノールのような打者には単打は打たれてもかまわない。先発投手ならおよそ考えそうなことを考えながらマウンドに上がった。この時点で、ソックスやトイレを別にすれば、グラウンド上の山井に特別なことはなにもなかった。