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未完の完全試合。 山井大介“決断”の理由 

text by

阿部珠樹

阿部珠樹Tamaki Abe

PROFILE

photograph byToshiya Kondo

posted2008/04/03 17:03

未完の完全試合。 山井大介“決断”の理由<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

 場内一周、共同会見、ビールかけ。優勝の夜は忙しい。

 「スケジュールを終えて家に戻ったのが夜中の2時でした。それから着替えて、平井(正史)さんと食事に行きました。あの日はみんなテレビやラジオのスケジュールが詰まっていたんで、祝勝会はなかったんです。帰ったときは夜中というより朝方近かったんですが、家族はもう寝ていました。カミさんと大阪から両親、妹が来て泊まっていたんですが、みんな寝ていましたね。だから、試合のことは着替えに戻ったときにちょっと話しただけで、ほとんど言葉を交わしたりはしませんでした」

 山井は先発した試合の夜は、寝つきが悪い。

 「試合の興奮がどこかに残ってるんでしょうね。だからあの日もなかなか寝つけず、うとうとしただけで朝になりました。頭の中は試合のことだけです。オレはすごいことをしたのかな。それとも記録にもなんにも残らない、なんでもないことだったのか。岩瀬さんに託すという結論、森さんに聞かれたとき、代えてくださいといったことは正しかったんだろうか」

 堂々巡りを重ねるうちに朝になった。大試合のヒーローは、いやヒーローでなくても大試合の勝利者側は、新聞を買い集めるのが普通である。どこかに自分の名前はないか。自分の貢献を、人はどう見ているのか。

 「ぼくは特に買うつもりはなかった。文字を読むのは苦手なんです。でも、泊まりに来ていた親父が、早起きして、新聞全紙を買ってきていました」

 父が興奮気味に買い集めただろう新聞を、山井は一行も読まなかった。活字嫌いのせいもあるが、「完全試合達成を目前に交代させられた男」のストーリーを読む気がしなかったからだ。

 「前の日に聞かれたのはどうして交代したのかっていう話ばかりだった。それだけでも抵抗あるのに、いつの間にかマメがつぶれたのが理由だったという話が出てきたりして。マメなんか4回ぐらいからつぶれていた。だからって、自分で投げようと思っていたら、そんなもの気にならないし」

 完全試合をやり損ねた投手としてではなく、シリーズの優勝決定試合の勝ち投手として、評価し、真情を尋ねてもらいたいのに、交代の理由にばかり目が向く「世間」を、山井は遠いものに感じていたのかもしれない。

 「シーズンオフになっても、ずいぶん交代のことは聞かれました。でも、ほとんど話はしませんでした。終わったことだし、どうでもいいと思って」

 いや、終わったことにしたかったというのが正直なところだろう。

 1年の締めくくりの選手会納会のとき、山井は谷繁(元信)に酒を注ぎに行った。谷繁は、好リードで山井を8回パーフェクトに導いてくれたパートナーである。

 「谷繁さんは、試合では、途中でも交代のときでも、ひとこともいわなかったんですが、納会のときは、最後は岩瀬でよかった、といってくれました」

 救われた気持ちになったことはいうまでもない。もうひとつ、身近なところから救いの手が伸びていた。

 「うちのカミさんはけっこう野球に詳しくて、ぼくの投球の感想もいったりするんですが、あの試合の交代に関しては、よかったんじゃないといってくれました。ありがたかったですね。あんなところで降りるなんて、考えられないなんていわれたら、たまりませんから」

 決断を支持されて、救われたり、ありがたく思ったりするのは、依然として山井の中にあの交代に関して、割り切れないものが残っているからだろう。それは、いつまでも残る。円周率のようにどこまでいっても割り切れるものではない。日本シリーズが来るたびに、いや、マウンドに上がるたびに、山井は「あの日の決断」を思い出して割り算をつづける。その姿を親しいものに感ずる人は決して少なくないはずだ。

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