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夢見る男を支え続けて“闘将”江藤慎一、逝く。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

posted2008/04/03 00:00

 ナンバー700号の歴史を振り返ったとき、特に思い出に残っているのが118号『江夏豊 たった一人の引退式』である。稀代の一匹狼で、球団主催の引退試合が行われなかったため、'85年1月19日、ナンバー主催、名球会協力で江夏の引退式を行ったのだった。

 この式に球界からの反応は冷たかった。各球団からは球場の使用を断られ、当初は名球会も背を向けていた。そんななか、名球会の先頭に立って協力体制を築いたのが江藤慎一だった。夢を追う男が好きだった。その後、江夏はメジャーに挑戦するのだが、夢破れて成田空港に帰ってきたとき、名球会でただひとり出迎えに来たのも江藤だった。2月28日、その江藤が70歳の生涯を閉じた。

 '59年に中日入団。'64年、'65年と2年連続首位打者を獲得して、当時全盛期を迎えていた王貞治の三冠王を阻止している。その後、ロッテに移籍し、'71年に首位打者となりプロ野球史上初の両リーグ首位打者に輝いた。

 バッティングは豪快。性格も豪快。一方でヤマッ気たっぷりに事業を起こして会社を倒産させたこともあった。

 「凡退してベンチに戻ってくるとな、不渡りにひっかけて『不当たり!』と野次が飛んだ。キツかったな。ちょうど会社を倒産させた後だったから」と振りかえっていたが、辛い体験もすべて笑い話にしてしまう人柄は、多くの人に愛されていた。

 晩年、江藤はよくこんな言葉を口にしていた。「カゴに乗る人、かつぐ人、ワラジを作る人といってな、人それぞれ役割があるんだよ。これからは夢見る男たちをかつぐ側にまわって応援したい」

 言葉通り引退後は、「日本野球体育学校」を立ち上げて後進の育成に励んだ。ブラジルに野球を教えに行ったり、オーストラリアの野球プロ化に尽力したり、世界中で「かつぐ人」をやった。

 何年か前、江藤の自宅を訪ねたとき、ゴルフのパターをくれたことがある。江藤は「俺の人生と一緒でスライスするから気をつけろ」と言った。いま、もう一度取り出して打ってみる。しかし、「それ見ろ、スライスしただろ。言わんこっちゃない」と豪快に笑う顔はもう見られない。一緒に通夜に行った江夏とした思い出話は、尽きることがなかった。

江藤慎一

プロ野球の前後のコラム

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