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<パ・リーグ新世代監督が語る3つのリーダー論> 渡辺久信×秋山幸二×西村徳文 「革新をもたらした若き指揮官の言葉力」
text by
永谷脩Osamu Nagatani
photograph byHideki Sugiyama
posted2011/03/09 06:00
バレンタイン前監督と対照的なロッテ・西村監督。
ひとつ負ければシーズン終了、という状況から勝ち進み、日本一に輝いたロッテ。監督の西村は二軍監督の経験こそないものの、二軍コーチ、一軍ヘッドコーチの経験を持つロッテの生え抜きである。
帽子のひさしの裏には「信は力なり」という伏見工高ラグビー部総監督・山口良治の言葉が書き込まれている。まさにコーチ、選手を信頼し勝ち取った栄光だった。
「いくらチームのためと思って発言してもバレンタインは全く聞き入れてくれなかった。だから自分が監督になった時、コーチには思い切って発言してもらおうと思った」
選手とも同じ目線で会話をしようと決めていた。メジャー帰りの井口資仁、選手会長のサブロー、チームリーダーの西岡剛とはシーズン中でも常に会話することを心掛けた。
特に西岡だ。バレンタイン時代には打順が固定されていなかった男を主将に指名し、その時にひと言添えた。
「1番に固定する。全試合に出場してナインを引っ張ってくれ」
西岡にとってその言葉がどれだけ励みになっただろうか。日本シリーズ第7戦前にも西村は「ここまで引っ張ってくれたのだから、日本一を手土産に胸を張ってメジャーにいったらどうだ」と話しかけている。
「戦いの場で余計な言葉はいらない。普段の会話が重要だ」(西村)
西村が対話を重視する理由はもうひとつあった。チームにとって一番怖いのが「不満分子」が増えること。西村は「不満分子は必ず一人でいない。仲間を引き入れる」と言う。井口とチーム状況を話し合い、不満分子を増やさないための相談をしていたのである。
終盤の苦しい展開の中、サブローは肉離れをおしての出場だった。その時、サブローは西村に「守備に就かせて欲しい。そうしたら指名打者で福浦和也が使えます」と直訴した。答えは「やってくれるか。チームのためだ」だった。「監督は直接意見を言える雰囲気を作ってくれたし、あのひと言で自分がやるんだと決意した」とサブローは語った。
残り3試合となった、9月28日の楽天戦。今季初めてサブローを4番に据えた。
「任せたと言うけれど、選手にあれこれ言わなかった。戦いの場では余計な言葉はいらないと思ってます。それよりも普段の会話が重要だと思います」
そのサブローが楽天戦で2ランホームランを放ち、土壇場での3位進出の原動力になったのだ。
荻野貴司は西村の言葉に感謝し、コンバートに同意。
下克上を果たして日本一になった石垣島のロッテキャンプ。西岡の抜けたショートを荻野貴司が守っている。西村は「序盤の快進撃は間違いなく荻野のおかげ」と明言する。昨年、荻野が膝の半月板損傷で戦列を離れた時には戦力ダウンを嘆くどころか「選手生命に関わる。完治するまで無理するな」と言った。
「チームよりも僕のことを考えてくれている。この監督を信じようと思った」と荻野も感謝し、コンバートに同意している。
'11年のペナントも激しい戦いが予想される。西武の渡辺は「寛容力」で主力を惹きつけ、ソフトバンクの秋山はベテランの尻を叩きながらプライドをくすぐる言葉で奮起を促し、ロッテの西村は普段の対話を重視し和を尊んできた。今年はどのチームの監督がどんな言葉で鼓舞するのか。その興味は尽きない。
渡辺久信(わたなべ ひさのぶ)
1965年8月2日、群馬県桐生市生まれ。前橋工高から'84年、西武に入団。最多勝等を獲得し'98年、ヤクルトに移籍。同年、退団。'99年から3年間台湾でプレー。'05年、西武二軍監督に就任し'08年から一軍監督になり同年、日本一に
秋山幸二(あきやま こうじ)
1962年4月6日、熊本県氷川町生まれ。八代高から'81年、西武に入団。本塁打王等を獲得し'94年、ダイエーに移籍。'02年、現役引退。'05年、ソフトバンク二軍監督に就任し'09年、一軍監督に。昨年、7年ぶりのリーグ優勝に導いた
西村徳文(にしむら のりふみ)
1960年1月9日、宮崎県串間市生まれ。福島高から国鉄を経て'82年、ロッテに入団。首位打者等を獲得し、'97年、現役引退。引退後も一貫してロッテのコーチを務める。昨年バレンタインの後を受け監督に就任し、日本一に輝く