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「甘い世界では…」日本代表“クロスのシュート率が低い問題”解決策となれるFW小川航基だが「悔しさの方が」なぜインタビューで本音を激白したか
posted2025/03/27 11:50

2024年、日本代表でもオランダでもゴールを量産した小川航基。本人に思いを聞いた
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ミムラユウスケYusuke Mimura
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Pro Shots/AFLO
三笘、前田ら“97年組”のエース候補だった男が
三笘薫も町田浩樹も旗手怜央も、そして前田大然も1997年に生まれた。日本代表がW杯の出場権を歴史上初めて獲得した年で、日本代表のニュースが世の中にあふれていた時期である。
また、板倉滉や中山雄太は早生まれであるため日本の学校システムに当てはめれば彼らより1学年上と見なされるが、ヨーロッパの基準でいえば同じ1997年生まれの選手だ。現代表でここまで多くの選手が生まれた年はない。
そんな1997年組のなかで将来のエース候補と目されていながら、上記のなかで代表に定着するまでにもっとも時間を要したのが小川航基だった。
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2021年、東京オリンピックが行なわれるタイミングでは、所属していたジュビロ磐田で出場機会を失っており、メンバーからも落選していた。
「20代前半の頃は何もできなかったんで、本当に悔しい気持ちでいっぱいでした。同世代の選手たちはA代表に入って活躍したり、どんどん海外に出て行って……。悔しい思いはたくさん味わいましたね」
エリートに見えるが「そんなに甘い世界ではないので」
小川は桐光学園高校を卒業して、すぐにジュビロ磐田でプロになった。普通に考えれば、同世代のエリートである。実力を磨くために川崎フロンターレのトップチームに上がるよりも大学へ進んだ方がよいと高校3年生の時点で判断できた三笘は特殊なケースだとしても、高卒で名門クラブに進めたのはそれだけの能力があったからだ。
それなのに、大学を経由したために自分より遅くプロになった選手たちが東京五輪に出て、海外クラブへ移籍していくのを横目で見ているしかなかった。
ただ――。
悔しさを、高く飛ぶためのバネへと変えられるところに小川の強さがある。
「所属クラブで試合に出られていない時期でも、代表に入って活躍することなどを想像しながら過ごしていたので、他の選手の活躍を見て焦ったりはしていなくて。むしろ、刺激をたくさんもらっていました」
その言葉に偽りはなく、小川はハッキリとした目標を立てていた。