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箱根駅伝は「自分には向いていなかったのかな…」元“高校最速ランナー”はなぜ最後の箱根路を走れなかった?「トラウマみたいになってしまって…」
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和田悟志Satoshi Wada
photograph bySatoshi Wada
posted2025/02/28 11:00

高校時代は5000mで16年ぶりの高校新記録もマークした東洋大4年の石田洸介。大学進学後は、様々な壁にぶつかり苦悩することになった
5月の関東インカレでは10000mで28分08秒29の自己ベストをマークし6位入賞。6月の全日本大学駅伝選考会では3組で1着を奪う活躍を見せ、本大会出場に貢献した。
もちろん中学・高校時代の華々しい実績に比べればまだまだ物足りなく映るかもしれない。それでも多くの人が大器の完全復活を予感し、それを期待した。そして、石田自身も苦しんだ時期も多かっただけに、前半戦の走りに充実感を覚えていた。
しかし、好調は長く続かなかった。
復活した天才を襲った「歯車の狂い」
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「あの日の深川は湿度が高く蒸し蒸ししていて、汗の量がハンパなかったんです」
昨年、前半戦の締めくくりとして、石田は7月17日のホクレン・ディスタンスチャレンジ深川大会の10000mに出場した。前半戦の疲労に加え、蒸し暑かったこともあり29分07秒41と自己ベストから約1分も遅いタイムとなった。
そして、このレースで歯車に狂いが生じる。走りのバランスが崩れ、8月には右足のアキレス腱を痛めてしまった。夏場は、最上級生として練習を引っ張るつもりが、ままならなかった。それどころか、駅伝シーズンに向けてスタミナ強化に取り組むはずが、満足に練習をこなすこともできなかった。
焦りが悪循環を招き、万全な状態で駅伝シーズンを迎えられなかった。
出雲駅伝は欠場。11月の全日本大学駅伝は、約2週間前に復帰しなんとか出場にこぎつけたものの、6区21位と振るわなかった。
「流れを作る走りをしたかったのですが、うまく走れずチームもシード権を落としてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
一方で、石田が学生三大駅伝を走ったのは2年時の箱根駅伝以来のことだった。久々にチームメイトとタスキをつなぐことができた感慨深さもあった。
「悔しかった反面、自分の中では大きな一歩を踏み出せたと感じています」
最後の箱根駅伝で納得のいく走りを見せるために、石田は前を向いた。この時点で調子は前半戦の好調時の6割程度。それでも11月の小江戸川越ハーフマラソンを1時間5分台で無難に走り切り、箱根に向けて調子を上げていく予定だった。ところが、12月に入ると、右アキレス腱の痛みが再発。16人のエントリーメンバーには名前を連ねたが、その痛みはなかなか引かなかった。
「結局、期日までに治すことができませんでした。監督に走れないことを伝え、それ以降はチームの裏方として走る選手のサポートを担当しました」