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箱根駅伝は「自分には向いていなかったのかな…」元“高校最速ランナー”はなぜ最後の箱根路を走れなかった?「トラウマみたいになってしまって…」
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和田悟志Satoshi Wada
photograph bySatoshi Wada
posted2025/02/28 11:00
高校時代は5000mで16年ぶりの高校新記録もマークした東洋大4年の石田洸介。大学進学後は、様々な壁にぶつかり苦悩することになった
石田が酒井俊幸監督に「走れない」と伝えたのは12月18日。箱根駅伝の約2週間前のことだった。
すぐに気持ちを切り替えるのは難しかったが、石田はチームのために自分ができることに徹した。
「メンバーが頑張る姿を間近に見て、『このメンバーに託すしかない』と考えることができました。悔しさは完全には消えませんが、少しずつ気持ちを切り替えていけたと思います。自分ができることは選手のサポートしかないので、選手が走れるように自分はどう立ち回るかをずっと考えていました」
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チームに気持ちを向けることで、自分の心の内の思いからは気を逸らせた。
石田は12月29日の区間エントリーでは1区走者に登録されていたものの、当日に補員に代わることは予め決まっていた。石田の欠場はもちろんチームにとって大きな痛手だったが、事前に分かっていただけチームとしても準備はできていた。
主将の離脱…「自分ごとのようにショックでした」
ところが、さらなるピンチが元日に起きる。
それが、主将の梅崎蓮のアキレス腱痛という緊急事態だった。
「自分は早い段階で走れないと決まっていたので、日数が経つにつれてだんだん消化できる部分もありました。でも、梅崎が走れないとなった時は、自分ごとのようにショックでした。同期の支えで自分は戻って来られたというのもありますし、4年間苦楽を共にした大切な仲間です。自分が走れない分、梅崎を含め同期に頑張ってほしいと思っていましたから……」
梅崎は前回大会の2区で区間6位、8人抜きの活躍を見せたエースだ。
大黒柱の離脱はチームにとってあまりに大きい。直前の大きなプラン変更を余儀なくされた。
「想定外のことが何度も何度も起きて……最低限20年連続シード権が目指すところでしたが『本当に大丈夫か?』という不安の連続でした。1区の小林(亮太、4年)も状態が良くなくて。往路は正直『どんな順位になるんだろう』と、不安もありました」
走ることができない石田は、祈るような思いで戦況を見守るしかなかった。
<次回へつづく>


