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「なぜタイムが伸びないんだ…」箱根駅伝“あの天才ランナー”吉居大和の苦悩…1区独走で衝撃の区間新、“史上最高の2区”も区間賞のウラ側「意地張っていた」
text by
田中仰Aogu Tanaka
photograph byAFLO
posted2025/01/18 11:05
2020年12月の日本選手権、当時中央大1年生だった吉居大和は5000mで3位に入賞
「今でこそ突っ込んで入る選手が増えましたけど、当時の2区は、抑えて抑えて最後に勝負、が主流の戦い方でした。でも僕はそういう走りが好きじゃないから、突っ込んで入って、キツくなったときに(旧知の)幸太郎くんに助けられて。最後の坂は、気持ちです。正直、これ以上ペースを上げられるとは思えないキツさなんですけど、ラスト100mをもうひと踏ん張りできたらトップに立てる、と。夢中でした。なぜか走れましたね」
突っ込んで、粘って、ラストスパート。高校時代の真名子監督の教えを体現したレースだった。チームも総合2位に躍進した。2年の1区、3年の2区。箱根でその名は世間に知れ渡った。「あの、吉居さんですよね?」。電車で、レストランで、声をかけられる機会が増え、箱根の影響力を実感した。大学入学時は「あまり興味がなかった」駅伝に、陸上人生を救われた形になった。
4年時の箱根はまさかの事態に
「駅伝ってタイムとかあまり気にせずに、行ってしまえ、みたいなところがあるんです。その感覚で1区と2区の区間賞をとれた感覚があった。でもトラックは展開の勝負でもある。タイムが毎周わかって、組み立てながら走る。その切り替えが最後までうまくできませんでした」
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優勝候補の一角と目されていた大学4年時の箱根駅伝は、直前にチームで体調不良者が続出した。吉居自身、12月27日に倦怠感に襲われた。なんとか出場こそできたものの、チームは総合13位に終わる。2区の吉居も区間15位。走り終えた直後、倒れ込んだ。「頭痛ですね。それと耳の奥がすごく痛くなって」。こうして吉居大和は中央大時代を終えた。
トラックで苦しんだ。勝負したかったはずの5000mは1年時の記録を越えられなかった。それでもロードで活路を見出した。記録だけ見れば、そう映る。
トヨタ1年目の“あるニュース”
卒業後はトヨタ自動車に入社した。1年目の昨年11月、数カ月ぶりに吉居のニュースを目にする。ニューイヤー駅伝予選(中部・北陸実業団対抗駅伝)を走ったという。タオルで涙を拭う吉居の写真とともに本人のコメントが載っていた。〈練習では調子が良かったのに、こうなった理由が分からない。1人で走り抜く力がなかった。地元の声援に良い走りで応えたかった〉(東愛知新聞/11月10日)。
何があったのか――。
〈つづく〉