箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「藤原が来ました!」日テレアナも思わず絶叫…24年前の箱根駅伝 “三つ巴の5区”の結末は? 天才に挑んだ“雑草ランナー”「勝ち筋はあると思って…」
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph byJIJI PRESS
posted2025/01/06 11:02
芦ノ湖ゴールまであとわずか1.5km地点までもつれた2001年の箱根路5区。法大・大村、順大・奥田、中大・藤原による三つ巴の決着は果たして…?
区間記録を見れば、藤原が73分51秒の区間2位。奥田は74分40秒の同3位で、大村は75分56秒の同7位だった。前年と同じ区間を走った藤原も大村も、ともに2分前後タイムが遅くなっていた。それほど異常な風の中での過酷なコンディションだった。
ゴール後は、強風にさらされ続けた寒さで、大村の体は凍えていた。救護スペースに運ばれ身体が温まってくると、じんわりと悔しさが湧いてきたという。
“雑草ランナー”による大健闘にも見えたが…?
傍から見れば“中大のエース”藤原や“順大クインテットの一角”奥田といった学生界屈指のランナーを相手に、トラックの持ちタイムでは大きな差がある無名のランナーが最後まで食い下がったという見方もできた。しかも予選会上がりのチームが、まだ往路とはいえ3位でのゴールである。
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だが、大村の胸の内を占めた想いは、満足感とは程遠いものだった。
「4年生だったからかもしれないですけど、とにかく最後の箱根は『抜かれないで終わりたい』というのはすごくあったんですよね。それが何番で来たとしても、相手が誰だろうと、自分より後ろからスタートしているわけですから。しかもこの年、僕は1回チームを投げだしている。そんな選手を信じて送り出してくれたのに、そこで抜かれたらもう……仲間に顔向けできないでしょう」
客観的に持ちタイムなどの実力を見れば、大村はこの年、100%以上の力を発揮できたと言っていい。もっと言えば、それ以上に「意地」や「根性」という目に見えないものまで可視化してくれたような、魂の走りだった。
ただ、それでも藤原というトラックでU20の日本記録を持つような “本物の天才”には敵わなかった。それこそが陸上競技という種目の美しさでもあり、残酷さでもある。大村は言う。
「まぁでも、そうあるべきなんですよ。実力があって、勝負が決まる。その実力の裏付けが、才能なのか努力なのかはわかりませんけど、強い選手が勝つのがスポーツなんです」