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「もうやってらんねぇよ!」徳本一善ら後輩の突き上げに…24年前の箱根駅伝 伝説の“三つ巴の5区”のウラにあった法大主将の「ブチ切れ秘話」
posted2025/01/06 11:01
2001年の箱根路で5区を走った法大の4年生・大村一。シーズン当初は駅伝チームの主将を務めていたが、夏前に「ある事件」が起きる
text by

山崎ダイDai Yamazaki
photograph by
(L)フォート・キシモト、(R)NumberWeb
「もうやってらんねぇよ! 俺は辞める」
法大4年生だった大村一は2000年の春、関東インカレの会場だった国立競技場の裏でチームメイトたちを前に、そう叫んでいた。
この年、大村はチームの駅伝主将に任命されていた。
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当時の法大はこの時代にしては珍しく、指導者によるガチガチの管理指導ではない、良くも悪くも個人のカラーの強いチームだった。一歩間違えれば「チャラチャラしている」と批判が飛んでくるような自由主義のチームにおいて、性格的にも生真面目だった大村は貴重な“主将キャラ”でもあった。
「監督から言われたとかでもなくて、なんとなく4年生で集まって『キャプテンは大村だよね』と。僕自身も多分、自分がやるんだろうなぁとは思っていました」
下級生の頃からすでに箱根駅伝も2回走っており、実力的にも申し分ない。主将への就任は必然でもあった。
下級生に「タレント揃い」だった法大
一方で、この頃の法大は下級生に強力なランナーが揃っていた。
ルーキーには前年の高校総体3000m障害で優勝した黒田将由(現在、青学大でエースとして活躍する黒田朝日の父)が入学し、3年生にはチームの大黒柱でもある徳本一善(現駿河台大監督)が在籍していた。結果的に大村たちの代はいわゆる「谷間の世代」として扱われることも多かった。
「陸上はタイムで実力が顕著に出ますから、下級生からの突き上げはめちゃくちゃありました。練習でも『もっと引っ張ってくださいよ』という下級生たちの雰囲気を感じる瞬間は何度もありました」


