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「神野は終わった」と言われても…箱根駅伝“3代目山の神”に新チームが“選手兼監督”オファーを出したワケ「もっと好記録の選手はいる。でも…」

posted2025/01/08 17:01

 
「神野は終わった」と言われても…箱根駅伝“3代目山の神”に新チームが“選手兼監督”オファーを出したワケ「もっと好記録の選手はいる。でも…」<Number Web> photograph by AFLO

2023年大会(写真)をはじめ、2度のMGCではいずれも苦戦した神野大地。青学大時代「3代目・山の神」と呼ばれた男は、苦難のプロランナー生活をどう振り返るのだろう

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泉秀一

泉秀一Hidekazu Izumi

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 年始に行われた101回目の箱根駅伝は、青学大の8度目となる総合優勝で幕を閉じた。すっかり常勝軍団となった同校だが、その初優勝は3代目「山の神」としてスターになった神野大地の存在なくして語れない。卒業後は実業団を約2年で退社しプロランナーに転向するも、目標に掲げたマラソンでの五輪出場は叶わず、未だ目立った記録は残せていない。プロ転向を「失敗」と見る向きもあるが、本人に後悔の様子はなく、新たな挑戦に向かおうとしている。《NumberWebインタビュー全3回の2回目/つづきを読む》

 青学大を卒業し、実業団に入って2年。神野大地は、2018年に大きな決断をした。会社から離れ、プロランナーとしての道を歩むことを決めたのだ。

 その神野のプロ生活を語る上で、欠かせない人物がいる。青学大時代のひとつ上の先輩に当たる高木聖也だ。

 箱根駅伝で神野が「山の神」になった大学3年時、4年生だった高木は主務という立場でチーム運営に携わっていた。2年で競技を引退し、3年からマネージャーに転向していた。

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 主務はマネージャー陣の統括役で、選手とも頻繁にコミュニケーションをとる学生たちのまとめ役だ。主力ランナーだった神野と高木は学生時代から関係が深く、交流は卒業後も続いた。

「銀行を辞めて、僕をサポートしてくれませんか」

 高木が新卒でメガバンクに就職して3年目。神野からプロランナーの相談を受けたのは、2017年12月のことだった。

 銀行を辞めて、僕をサポートしてくれませんか──。打診された当時の心境を、高木はこう振り返る。

「メガバンクで働けば、安定した収入を得られます。実際、長く働くつもりで入社しました。でも、神野に声をかけてもらって、もう一度、陸上に関係できるんだとワクワクしてしまった。断ったら後悔するなと思い、感情で決断しました。まだ当時は、独り身でしたし」

 こうして神野と高木の二人三脚での「チーム神野」によるプロ挑戦がスタートした。

 プロ選手のネックになるのが、活動資金だ。チーム神野の場合、高木と2人分の生活費に加えて、大会参加費や国内外の合宿費も必要になる。

「初年度の計画では、合宿や遠征、レースなどに使う強化費だけで1300万円かかる計算でした。2人分の生活費を含めると最低でも2000万円の売り上げを作る必要がありました」(高木)

【次ページ】 神野が「もう辞めよう」と思った時は…?

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