甲子園の風BACK NUMBER
「最後まで自分を過信できなかった」甲子園で打率4割、大学リーグは5割超で首位打者…大阪桐蔭“最強世代”で春夏連覇の外野手はなぜプロを諦めた?
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by(L)Hideki Sugiyama、(R)Sankei Shimbun
posted2024/12/31 11:03
大阪桐蔭では甲子園春夏連覇、進学した同志社大では5割超の打率で首位打者も獲得し主将も務めた青地斗舞。それだけの実績がありながら、なぜプロの道には進まなかったのだろうか
やるからには、常にトップを目指したいと思っていた。
ナンバーワンを目指すという性分は、幼い頃からの両親の教育方針でもあった。
「勉強でも野球でも、何でも1番になりなさい、という両親のもとで育ったので(笑)。マラソン大会で2位になって帰ってきても怒られるような家だったんです。だから、何をするにも意識的に1番じゃないとダメというのはありました」
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だが、野球では自身の限界を徐々に感じるようになっていた。そもそも高校・大学で歩んできた自分の野球人生は「ラッキーでした」と振り返る。
「僕は選手としてそこまで優れた要素があった訳でもないし、高校の時は繋ぎ役でした。大学では首位打者のタイトルこそ獲れましたけれど、バンバン打ったというより、泥臭く当てたヒットばかりでしたから、経歴として形は残っても中身はなかったと思っています。ウエイトトレーニングに力を入れて身体を大きくしたこともありましたし、もっと頑張れば違う可能性もあったのかもしれません。でも、自分の目指すところ――ナンバーワンには届かないのが分かってしまったので」
なぜ青地は野球を「引きずらなかった」のか?
それでも甲子園で優勝することは偉業であり、世間一般でもなかなか経験することはできない。野球をやっていれば誰もが成し得たい目標であり、功績となる。大阪桐蔭という超名門校となればなおさらだろう。だが、それを青地は一切引きずることなく、野球に区切りをつけた。
現状を聞く限り、何もかもをポジティブに受け止めている。
「野球を引きずらずに今の仕事をポジティブに受け入れられているのは、持って生まれた性格なんでしょうね。僕は欲が強いというか、『1番になりたい』とか『負けたくない』という思いが強いんですけど、逆に言うとそれが強すぎて自分の評価が低いんです」
野球をやっている時も、周囲の評価がどれだけ上がろうと、いつも「実力が伴っていない」と思っていた。
「だから鼻が伸びすぎることはなかったと思いますし、その分、周りの意見を吸収できるのかなと。これは自分の性格の良いところでもあり、しんどくなることもある部分なのかなと思います」
プロ野球選手を目指し、何度か勝負しようと思ったことがないわけではない。だが、最後まで自分を過信できなかった。いまも青地は「もし自分で自分を評価できていたとしても、どのみちプロへは行けなかったと思いますよ」と冷静に分析してしまう。