甲子園の風BACK NUMBER
「最後まで自分を過信できなかった」甲子園で打率4割、大学リーグは5割超で首位打者…大阪桐蔭“最強世代”で春夏連覇の外野手はなぜプロを諦めた?
posted2024/12/31 11:03
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by
(L)Hideki Sugiyama、(R)Sankei Shimbun
幼い頃から野球を始め、大阪桐蔭という高校野球最高峰のチームで揉まれる野球人生を歩んできた以上、青地斗舞の目標はもちろん“プロ野球選手”だった。
進学した同志社大でももちろん、その夢は追いかけてきた。
だが、大学生活が中盤にさしかかった青地の心の中には色んな思いが駆け巡っていた。
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「まず、高校では身近に藤原(恭大)というすごい選手がいて、自分のレベルを思い知った。その頃は何としてでもプロへという強い思考はなかったんですけど、ドラフト1位でプロに行った同級生を見ていて、自分もプロに行くなら1位で行くくらいの気持ちで4年間やらないといけないとは思っていました」
だが、実際は「大学は……トータルで見ると全然ダメでした」と本人は言う。
高校でも1年時はもがき苦しんだ。だが、その時と比べても大学では努力はしてもその方向性や、備えた力を発揮する難しさを痛感した。
コロナ禍の中で感じた「海外への興味」
さらに自身の思考を変えたのが、新型コロナウイルス感染症拡大の世界情勢だった。
新型コロナウイルス感染症拡大の影響はあらゆる分野に及んだ。学生野球界も、対外試合、リーグ戦はおろか外での練習も禁じられた。身体を動かすことすらできず、自宅のテレビで現状を伝えるニュースばかりを目にする中で、青地はあることが引っ掛かった。
「テレビの映像で海外の様子が流れることもあったじゃないですか。日本でもマスクをして、移動を控えるとか、色んなニュースが流れるんですけれど、コロナへの対応が海外では日本と比べると驚くくらいスピードが速いことに気づいたんです。病院を建てる早さとか、マスクの規制の緩和とか、日本にはないスピード感が伝わってきて」
海外の国々は、どんな風に動いているんだろう。コロナ禍というイレギュラーな状況をきっかけに、青地はそんなことが気になるようになった。
「海外に行くとなると英語を話せないといけない。調べてみると、英語が話せるようになったら世界の65%くらいの人とは話せるらしいということも分かった。そうやって広い世界に出ていくことで、たくさん得られることがあるのなら――大学卒業後は野球を辞めて、海外で働きたいと思うようになったんです」