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大阪桐蔭“黄金世代”で春夏連覇のライトが商社マンに異例の転身…「TOEICが730点ないと出張に行けなくて…」24歳“青地スマイル”の意外な「その後」 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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photograph by(L)本人提供、(R)AFLO

posted2024/12/31 11:02

大阪桐蔭“黄金世代”で春夏連覇のライトが商社マンに異例の転身…「TOEICが730点ないと出張に行けなくて…」24歳“青地スマイル”の意外な「その後」<Number Web> photograph by (L)本人提供、(R)AFLO

根尾昂(中日)や藤原恭大(ロッテ)ら後のプロ選手を多く擁し、甲子園で春夏連覇を達成した大阪桐蔭最強世代。その一角だった男はなぜ商社マンの道を選んだのだろうか?

 ただ、レギュラーになったばかりの2年秋の公式戦では、並み居る好打者の中で青地は.457の打率を残し、チームで“首位打者”となっている。ちなみに藤原は.438、根尾は.357だ。

 2年秋は主に5番や6番を打つことが多かったが、派手さはなくプロ注目とは言われなくても、チームを支える貴重な存在となっていた。3年夏には「2番・右翼」でスタメン出場し、夏の甲子園では6試合で25打数10安打。実に4割という打率を残し、全国制覇に貢献した。

高校卒業後は関西の名門・同志社大へ

 大阪桐蔭卒業後は同志社大へ進んだ。同級生がどんどんプロ入りする中「自分はとりあえず長く野球を続けることしか考えていなかったです」と地元の名門の門を叩いた。もちろん同志社大では高校時代の功績もあり、周囲からの期待は高かった。

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 だが、その期待に応えたいが故に、青地の気合いが“空回り”してしまう。

「今までになかった自分を見せるために飛距離を伸ばそうとして、身体を大きくするトレーニングをかなりやったんです。そうしたら左ひざを痛めました。その後、手術もしたんです。当然、下級生の頃はリーグ戦にはほとんど出られませんでした。今思うと、あの頃はどこか自分の力を見誤ってしまったところがあったと思います」

 下級生時の自身の姿勢を猛省し、3年秋のリーグ戦前には伸びた髪の毛を丸めて坊主頭となった青地の姿があった。ゼロからのスタートを誓い、高校時代のようながむしゃらさを前面に出した。するとリーグ戦では25打数13安打で.520の打率を残し、リーグで首位打者のタイトルを獲得している。

「少しでも長く野球を続けられたら」と大学野球を駆け抜けた。4年生になると主将も務め、チームの中心にも立ってきたが、学年が上がるにつれ今後の自分について真剣に考えるようになった。

 それは、野球選手としての現役生活にピリオドを打つ、という選択肢も含めてだった。

<次回へつづく>

#2に続く
「最後まで自分を過信できなかった」甲子園で打率4割、大学リーグは5割超で首位打者…大阪桐蔭“最強世代”で春夏連覇の外野手はなぜプロを諦めた?

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