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羽生善治いわく「職業病は腰と足の痛み」、昭和の天才も引退決断…「無理だと判断しました」“正座とケガ”に悩んだ大棋士は渡辺明だけでない
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byAsahi Shimbun
posted2024/12/27 11:38
長年にわたってトップ棋士として対局に臨み続けている渡辺明九段だが、ヒザのケガによって1カ月の休場となった
タイトル戦の対局で和服姿の棋士が和室で正座した光景は、格調があって一幅の絵のように美しい。しかし現実は、棋士への身体的負担によって成り立っている。洋室で洋装になって椅子に座って対局しても、将棋そのものの価値が下がるわけではない。将来は、和室・洋室での対局は半々になるのが望ましいと、私は個人的に思っている。
不世出の天才棋士だった升田幸三実力制第四代名人は「新手一生」を標榜し、50歳を過ぎても意気軒高で「60歳名人」を公言していた。しかし体力の衰えと病気によって、ある時期から公式戦の休場と復帰を繰り返していた。
升田は1979年春、日本将棋連盟に2年ぶりの公式戦への復帰を伝えた。『将棋世界』誌はそれを記念して、若手棋士の小林健二五段(当時22。以下同じ)、青野照市六段(26)、谷川浩司六段(17)との三番勝負を企画した。
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その際、升田は主治医の言に基づき、椅子での対局を申し入れたという。足の具合が悪くて、長時間にわたって畳の上に座れない状態だった。升田ほどの大棋士の要望であり、公式戦の対局でもない。将棋連盟(会長・大山康晴十五世名人)は特別に便宜を図っても良さそうだが、それをなぜか認めなかった。前例がない、洋室がない、という理由のようだ。
「終盤になると疲れが…将棋がよう指せん」
1局目の升田−小林の対局(持ち時間は各3時間)は4月5日、将棋会館5階の和室で行われた。大豪棋士の久々の登場とあって、対局室には米長邦雄九段、河口俊彦五段らが顔を出して升田に挨拶した。1日に300本もタバコを吸っていた升田は、禁煙したせいか元気そうだったという。升田は向かい飛車に振り、小林の攻めを巧みにかわした。そして最終盤で絶妙の一手を指して快勝した。升田健在を思わせる内容だった。
2局目の升田ー青野の対局は4月24日、同じ5階の和室で行われた。升田は四間飛車に振り、青野の棒銀を巧みに応戦して有利になった。しかし戦いが進むにつれて疑問手を重ね、あっけなく逆転負けした。終局後に「終盤になると疲れがたまってくる。将棋がよう指せん」と語ったという。
3局目の升田−谷川の対局は、5月1日に予定されていたが行われなかった。
升田が現役引退を61歳で表明したからだ。
椅子対局が叶わないことで潮時と決断したようだ
升田の引退について、升田とは何かと確執があった連盟会長の大山が椅子対局を認めなかったから、という説がある。升田も後年に「大山のために引退させられた」と語っていた。升田の引退を惜しむファンからは「連盟の対応は冷たい」との声も上がった。ただ現実問題として、連盟が特定の棋士のために椅子対局を導入するのは、当時は難しかったと思う。
升田は椅子対局で復帰への道を探っていたが、それが叶わないことで潮時と決断したようだ。青野との対局での不本意な内容も影響したかもしれない。
升田は現役引退の記者会見で、長い棋士生活で一番印象に残っていることを問われると、「名人に香を引いて勝ったこと」と即座に答えたという。1956年の王将戦で挑戦者の升田八段は大山王将・名人に3連勝して香落ちに指し込み、その第4局も上手として勝ったのだ。