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「原因は、あなたですよ」野村克也が阪神オーナーに直言…監督付になった球団職員「ああ、これでタイガースは強くなる」3年連続最下位に隠された真実
posted2024/12/27 17:02
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
JIJI PRESS
野村は試合前、たいてい監督室で食事をとった。御膳の最後にはいつもパパイヤが出た。半分に割られ、底は丸いまま種が除かれ、カレー用の大きなスプーンが添えられている。嶌村聡によって全国どこの球場、宿舎でもそうなるよう手配されていた。
地元関西学院大を出て阪神電鉄入社9年目。球団広報部にいた嶌村は、1999年、野村の就任と同時に監督付となった。
「もう日々勝負です。阪神には質量とも日本一と言えるマスコミがいますから、監督には定型的なルーティンが求められる。自由な雰囲気のヤクルトで自分流をつくられてきた野村監督とどう折り合いをつけるか。そこが一番の問題でした」
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野村は無数のペンやレンズの前で喋った。立っても座っても歩きながらでも喋った。その一言一句が紙面に載り、電波に乗って世の中に発信されていった。
野村が行った“人づくり”「球団の中核は編成部だ」
一日の大半を他人のために費やす中で守られるべき数少ない野村自身のルーティン。名将と老舗球団の折り合いをつけるためのもの。その一例がわずかな食事のひとときだった。朝のトマトジュースには氷をひとつ。昼のうどんは月見、かまぼこを多めに。コーヒーはアメリカン……。嶌村は野村の生活習慣から嗜好に至るまで把握し、野球に集中できる環境をつくろうとした。
「やはりあの最初のミーティングで衝撃を受けたんです。配球論や専門的な話から始まるのかなと思ったら、人間学、社会学、哲学から入られた。ああ、これでタイガースは強くなると思いました」
野村阪神の船出はセンセーショナルだった。開幕カードで長嶋巨人に勝ち越すと、6月には一時首位に立つ。関西は沸騰し、阪神百貨店では100万円の「ノムさん純金人形」まで発売された。
ただ梅雨時になると虎は止まった。夏には沈みはじめ、秋には順位表の底を這うことになった。このサイクルは概ねその後の2年間も繰り返されることになる。
野村がぼやく。メディアやファン、OBたちの視線が冷たくなる。名将と関西老舗球団はすれ違い、離れていく。嶌村は両者が折り合うことの難しさを痛感していた。
「勝てば折り合いがつく。そういう世界です。でも野村監督がやっていたのは人づくり。凄く時間のかかることだった。『本社、球団、現場が三位一体となってこそ優勝にふさわしいチームができる。球団の中核は編成部だ』とよく話されていました」