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「これはまずい」学生の朝帰り、だらけた雰囲気…それでも青学大・原晋監督が見逃さなかった“ある変化”「今の生活を変えたい」選手が宣言した日
text by
原美穂Miho Hara
photograph byJIJI PRESS
posted2025/01/03 06:01
2015年、初めての箱根総合優勝を達成した際の原晋監督
監督にはその印象が強いので、学生にも最初は自主性を求めたようでした。練習への取り組み方はその人次第、寮の部屋でお酒を飲むことを禁じなかったのも、学生を大人扱いしていたからでしょう。
これでは3年以内に箱根駅伝に出場するなんて、とても無理なのではないか。そう、監督に話したことがあります。しかし監督は、強要してもうまくいかないと言います。たしかに、勉強しろと言われると、それが自分のためを思ってのアドバイスだとわかっていても、とたんにやる気を失うもの。頭ごなしの命令は、いい結果を生みません。
「このままでは箱根に出られない…」学生に変化が…
ところで、箱根駅伝というとお正月の2日・3日という印象がありますが、それは「本選」で、前の年の秋に「予選会」があります。その年の本選でシード権を得られなかった大学と、そもそも本選に出場できなかった大学は、その予選会を突破しないと本選には出場できません。当時の青山学院大学陸上競技部にとって、ターゲットはその予選会でした。
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予選会は10月に行われます。新年度が始まった半年後には、4年生が箱根路を走れるかどうかが決まってしまうのです。最初の年、青山学院大学は予選会を16位で終えました。もちろん本選には出場できません。4年生は、この時点で引退となります。
すると、学生はその瞬間に最上級生となった3年生を中心に「このままでは自分たちも箱根駅伝に出られない」とだんだん考えるようになってきました。
それまでも彼らは「箱根に出たいか」と聞かれれば「出たい」と答えていました。ただ、そのためにはどこまで真剣になるべきなのか、果たして自分たちの自由を犠牲にする勇気があるのか、彼ら自身が量りかねていました。生活がいまひとつぴりっとしなかったのも、本気で目指すかどうかを決めかねていたからでしょう。
このままでは絶対に無理だ。そう気がついた子たちは、自発的に、今の生活を変えたいと言い出しました。考えてみれば彼らだって、自由な一人暮らしを手放すという犠牲を払って寮生活を選んでいます。なぜそうしたのかと言えば、やはり箱根駅伝に出たいから。歓声を受け、青山学院大学のユニフォームにフレッシュグリーンのタスキをかけて、大勢の前を走りたいからです。