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「ああ、猪木だ。スゲー、猪木が来た」驚きの初来店…アントニオ猪木が愛した“コーヒーの名店”秘話「カウンターの一番端に座り、小さい声で…」 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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posted2024/10/01 11:02

「ああ、猪木だ。スゲー、猪木が来た」驚きの初来店…アントニオ猪木が愛した“コーヒーの名店”秘話「カウンターの一番端に座り、小さい声で…」<Number Web> photograph by Essei Hara

アントニオ猪木は晩年ランブルにやってくるようになり、林不二彦さんが淹れるコーヒーを愛した

 猪木はブルンジも飲んでいた。当時のブルンジは今とは違って、中煎りで酸味を残していた。ボディが強く、キレのある酸味が猪木は好みだったという。

猪木がカウンターで語った“亡き妻への思い”

 ブラン・エ・ノワール(琥珀の女王)と名付けられた甘いコーヒーがある。猪木も本当は飲みたかったのだろうが、糖分が制限されていたため口にすることはなかった。田鶴子さんはこれを好んだ。シャンパングラスに注がれたコーヒーを白いエバ・ミルクが覆っている。おしゃれな逸品だ。注文すると、林さんは「甘いですよ」と念を押した。女性に限らず、これを口にする男性客も多い。かき混ぜずに飲む。

「関口が入れたコーヒーを飲んだことがある人はもう75歳以上の方でしょうね。団塊世代のど真ん中。私だって3歳か4歳の頃に飲んだかもしれない、くらいです。関口は映写機の会社をやっていて、来客にコーヒーを振る舞っていた。その会社と同じ場所でコーヒー店を始めた。1948年、GHQの統治下の頃です。1975年に隣の火事があって、今のここに移ったんですが、関口はそこのイスに座っているだけでした。職人というより研究者、いや技術者でしたね」(林さん)

 ランブルはポットもやかんも市販の物とは形が異なる。うまいコーヒーのために関口さんが考えたものだ。グラインダーも特注品で微粉を最小限に抑えている。ドリップは布を使うことにこだわる。

 テーブル席の壁には洋画家の麻生三郎が描いた絵が3枚かかっている。

「関口が友達でもらったんです。藤田嗣治も1枚あるんですよ。木のお面は先々代の中村勘三郎さんのお土産、今の勘九郎のおじいちゃん。ママさんは呼ばれて結婚式にも行っていた。ランブルのロゴもお客さんに作ってもらったはずです」(智美さん)

 各テーブルの中央には丸い灰皿が収まっている。

「もう吸えませんけど、取り外すと、真ん中に穴が開いているので」

 店主の林さんは釣りに出かける。主に渓流だが、時々、海にも行くという。釣りという言葉に反応して、「何が釣れました?」と猪木が声をかけてきたという。鶴見川に釣り糸を垂らしていた少年時代を思い出していたのかもしれない。

「選挙で当選した翌日にもわざわざ来てくださって、関口と話していました。ズッコさんが亡くなったあとに来てくれた時は、カウンターの一番端に座ったんです。私はお客さんに盗撮されないように背中向けて目隠し役で立っていました。そうしたら、小さい声で言うんです。薬探して引き出し開けてみたら、そこにズッコさんの病名が書かれた書類が出てきて、オレ知らなかったよ、って」

【次ページ】 なぜ猪木はランブルのコーヒーを愛したのか

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