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「猪木が秘書になってくれと言っている」燃える闘魂がホレた“福岡の老舗”とは?「後追いしそうに…アントニオ猪木がすべてなので」店主が語る猪木愛

posted2024/10/01 11:01

 
「猪木が秘書になってくれと言っている」燃える闘魂がホレた“福岡の老舗”とは?「後追いしそうに…アントニオ猪木がすべてなので」店主が語る猪木愛<Number Web> photograph by Essei Hara

アントニオ猪木が書いた「藤よし」の看板の前で笑顔を見せる「サダさん」こと店主の早川禎行さん

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原悦生

原悦生Essei Hara

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Essei Hara

 2022年10月1日にこの世を去ったアントニオ猪木。在りし日の“燃える闘魂”は、何を食べ、何を愛し、どんな日常を過ごしていたのか。三回忌にあわせて、猪木番カメラマンの原悦生氏が「ゆかりの名店」を訪ねた。(全2回の1回目/「猪木が愛したコーヒー」編も読む)

“熱狂的な猪木信者”の店主が営む福岡の老舗へ

「三回忌だというのに、猪木ロスのままなんです。まだ、手を合わせにも行けていないんです」

 そう語るのは博多・西中洲の老舗焼き鳥店「藤よし」の早川禎行(通称サダ)さんだ。父親の早川鴻之輔さんが80歳になった2016年、サダさんはこの店を引き継いだ。

「藤よし」は父親の鴻之輔さんと25歳も離れた長兄・早川精一さんが、1949年に屋台としてスタートしたものだ。この精一さんは若い頃、オペラ歌手になりたくて東京で「椿姫」でも有名だった世界的なオペラ歌手・藤原義江の内弟子になった。あの「ブルースの女王」淡谷のり子とも一緒で、家には淡谷からの直筆の手紙が何通も残っている。

「店の名前は藤原義江の藤と義から取ったんです。私がつけるとしたら『アンいの』とか『猪かん』になってしまうようなものです(笑)」

「博多にまだ会ったことがない長男がいる」と九男の鴻之輔さんは18歳の時に聞かされていた。長男の精一さんは結婚していて妻が博多の女性だったので、一緒に満州から引き揚げてきて、焼き鳥店をやっていた。鴻之輔さんは兄夫婦を頼って新潟から博多に移り、料亭で修業してから「藤よし」を手伝った。そして、1961年11月、鴻之輔さんは兄の店とは別に、現在の西中洲に同じ名前で店を構えた。スズメに始まった博多の焼き鳥は鳥に限らず、豚でも牛でもなんでも焼く。「藤よし」ではからしを添える。

 サダさんは高校を出た後、大阪で懐石料理を勉強していたが、23歳の時、父親が病気になったため、一度「藤よし」に入った。28歳で再び大阪に修業に出かけた。そして32歳の時、渡辺通りに「味魂 さだ之輔」という店を持った。「闘魂」ならぬ「味魂」というのが熱狂的なアントニオ猪木信者らしい。うまい魚を出す店として知られるようになっていた。だが、父親が80歳になった2016年に「藤よし」に戻った。生け簀を設置して「藤よし」は焼き鳥と和食の店に変わった。

 サダさんは生け簀から片手でカワハギをつかんで包丁を持つと、手早くさばき皿に盛りつける。

「この皿なんですけれど、いわくつきのものなんです」

 皿の裏には「アントニオ猪木 倍賞美津子」と金色の文字が書かれている。1971年11月に京王プラザホテルで行われた、あの1億円結婚式の引き出物だ。それが何枚もある。

「少しずつ、集めたんです」

 猪木好きはここまでやるのか、「すごい」と思いながら笑ってしまった。

【次ページ】 猪木と対面して「弟子入り」を直訴

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