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<ライター必読>「井上尚弥が負けたら、この本は成立しない」森合正範『怪物に出会った日』と鈴木忠平『嫌われた監督』が明かす“書くことの恐怖”
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byWataru Sato
posted2024/10/10 17:02
『いまだ成らず 羽生善治の譜』鈴木忠平氏(左)と『怪物に出会った日 井上尚弥と戦うということ』森合正範氏の対談。お互いの著作を交換して手に持って撮影
鈴木 そうですね。本当に、あの本でそういうことがわかった。僕も『嫌われた監督』の時は自分は出ない方がいい。記者としての自分は出てこない方がいいと思っていたんです。特に自分の視点や体験が、読者に与えるものはないと思っていたんですけど、編集者の方に強く言われて「そうなんだ」と。物語を通して、記者としての鈴木さんを一本の線に、その変化を書くべきですと言われて。昔から僕はシャーロック・ホームズが好きで読んでいて、あれも結局は得体の知れない人、平凡な人ワトソン博士が自分の本業をほったらかして、ホームズという未知の人を探検、探究していく話じゃないですか。あの面白さが、筆者が登場することで、ノンフィクションでも出せる。森合さんも必ず取材に行く前の葛藤が入るじゃないですか。それって僕ら読み手と重なるんですよね。 自分が視点人物になれるのであれば、なった方がいいと思っているんです。
森合 私も、最初書く前に編集者に唯一確認したことが、自分をどこまで出していいですか、ということなんです。自分が現れるのがノンフィクションなのか、現れない方がいいのか。ノンフィクションの定義が、私は明確にわからないので、出ていいのかを確認させてもらいました。そうしたら、自分のことは自分しか書けないから、最初はもう書けるだけ書いてくださいと言われて。ほとんど最初に書いたままですね。なんで自分が出てきたかというと、負けた人に話を聞くという行為なので、ファンの人が読んだら失礼な取材だと感じて物語が入ってこないんじゃないかなと考えたんです。
聞く側にも葛藤がある
鈴木 いきなり負けた人に話を聞いていくと?
森合 はい。聞く側にもこういう葛藤があって、こういう気持ちで聞いているんですよ、ということを前置きした方が、読み手も入ってきやすいんじゃないかと思って自分を出した方がいいと思ったんです。
鈴木 取材に行く前の森合さんの葛藤が負けた人の痛みを伝えることになっている。
森合 もしかしたら、前に読んだ『嫌われた監督』が少しあったのかもしれないです。あれは記者の成長物語がすごく大きな縦軸になってるので。読んだ時に自分がこれまで思い描いてたノンフィクション、沢木耕太郎さんとか自分がいっぱい出てきますけど、忠平さんが出てくることによって、すごい推進力になるし、ページをめくる手が止まらないなと思ったので、すごく考えさせられる本でしたね。
鈴木 書き方にもよると思うんですけど、 ある程度やっぱり制約を設けて書くと、自分が記者をやっていたからなのかもしれないですけど、森合さんに自分を同化させる疑似体験があった。例えばボクサーやボクシング関係者しか出てこなかったら、ちょっとできないと思うんですよね。記者って当事者ではない立場で、一般の人代表という視点があることですごく伝わってきた。
森合 もし次書く時、自分が出てきてもいいような状況だったら忠平さんが出てくる?
鈴木 自分が視点人物になる場合はやっぱり体験が必要。しかも人生を左右するような体験、人生の中でそういう出会いがあれば、そういう書き方をするかもしれないです。
<後編に続く>