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<ライター必読>「井上尚弥が負けたら、この本は成立しない」森合正範『怪物に出会った日』と鈴木忠平『嫌われた監督』が明かす“書くことの恐怖”
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byWataru Sato
posted2024/10/10 17:02
『いまだ成らず 羽生善治の譜』鈴木忠平氏(左)と『怪物に出会った日 井上尚弥と戦うということ』森合正範氏の対談。お互いの著作を交換して手に持って撮影
森合 この本に書いた去年の7月まででも、7年間負けていないんすよ。それが凄いし、とんでもないし。
鈴木 そうですよね。一敗で、ボクサー人生が終わることだってある。
森合 そこの恐怖心はありましたけど、どうですか、忠平さんは今の選手、今の棋士を書く難しさは?
鈴木 最初は実はあんまりなかったんですけど、本を何冊か書くうちに怖さが出てきた。一冊にすると、「その人はこういう人である」と、自分はそう書いてるつもりじゃなくても一冊の範囲の中で答えが出ちゃうんですよね。取材対象の人は生身の人間だし、ましてや現役だといろいろと揺れ動く。清原さんが引退した後、落合さんが監督を退任された後でも、それでもやっぱり人格を「この人はこういう人である」ということを世に出すことへの恐ろしさを感じていて。ましてや現役時代、勝った、負けたで人生観や価値観が変わっていくと思うんですよね。引退した後は一つ人生を終えて、プレーヤーとして自分はこうだったというのが本人の中でもある。でも、現役のときはそれが揺れ動いている。
森合 確かに、そこの難しさはありますね。だから結局、「井上尚弥選手の強さは何ですか?」と聞かれても、この本に明確に書いていないんですよ。「これ」というのを言い切ってないので。言い切れないという難しさ。だけど自分は難しさというより、逆にそれが楽しさかなと捉えていたので。 自分が書いたのが、本人が意図することではないという怖さは、すごくありますよね。私は本を2冊しか書いたことがないんですけど、本になるとその重みをすごく感じます。日々の新聞の原稿でももちろんあるんですけど、昔、先輩から「人の人生を書かせてもらうんだから自分も人生を懸けなさい」と言われたんです。正直、本を書くまでは、その意味があんまりわかっていなかったんですよ。だけど、本を書いた時にこれは人生を懸けなきゃいけないことなんだなと、初めて先輩の言葉がすごく入ってきて、だから間違ったものを残しちゃいけない、その重みという点で、選手が現役の揺らいでる時に書くというのは、確かに難しいことなのかもしれないですね。
現在進行形のことを書く楽しさ
鈴木 逆に楽しさで言えば、自分も「Number」編集部にいた時に、昔の高校野球の名勝負を書かせてもらったことがあったんですけど、昔の終わったことを書くということと現在進行形のことを書くときの体温というか、作っている方、それは書き手もそうですし、雑誌の編集者もリアルタイムで進行してるものを追っていく時のあの高揚感はたぶん読み手にも伝わるので、その楽しさっていうのは、大変さと裏返しである気がするんですよね。
森合 私もこの間、井上選手がルイス・ネリ選手と東京ドームで対戦して、これまでに経験のないダウンを喫して、そこからの立て直し方がすごかった。この本の中には一切書いてない新たなモンスターの側面だったと思うんですよ。そういうのを見ると、すごく興奮する。本としてはもちろん書ききれていない。だけど現在進行しているものを目の当たりにできる高揚感というか、興奮というか。また自分の知らないものが出てきたという好奇心の方が自分を上回ってしまう。
鈴木 「怪物に出会った日」は、自分が一読者として、よくぞ今やっていただいたと。やっぱり大変なんですよ。引退した人だったら時間的な余裕もあるし、ある程度、過去のことに気持ちの整理もついている。それはやりやすいことが多い。でもそれでもあえて現役をリアルタイムで時代を作っている人に向かっていく書き手というのはすごいなと思ったし、よくぞ今書いてくださったと思って。
ノンフィクションの特権とは
森合 本当に偶然のタイミングだと思います。本を出したタイミングも、たまたまよかったし、勝ち続けてるから成立した。忠平さんは、昔の人を書くということは、あまり頭にないですか?