Number ExBACK NUMBER
22年前の「もうひとつの大社旋風」…なぜ“島根の県立高”陸上部が「インターハイで総合優勝」できた? 原動力だった“伝説のエース”の正体
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph byGetsuriku
posted2024/09/08 11:02
22年前、陸上インターハイで総合優勝を果たした島根・大社のエーススプリンターだった野田浩之。全国大会では4種目で入賞を果たした
地元・島根に戻ってからは「いろんなところに連れていかれました」と神田が振り返るように、表敬訪問などさまざまなイベントが催された。
「県立高が全国大会で総合優勝」というトピックは、メディアでも大きく報じられた一方で、不思議なことにこの年、卒業後も競技を続けた選手はほとんどいなかったという。全国の頂点に立ち、多くの大学から声がかかったリレーメンバーですら、野田以外はほぼ競技継続をしなかった。
高校で日本一…でも皆が競技継続しなかったワケは?
大学では「フットサル部に入った」という神田はその理由をこんな風に振り返る。
「ホントに雰囲気は普通の高校でしたから(笑)。仲のいい友達がいたから部活を続けていて、たまたまそれで日本一になれた。でも、本当にそれだけで。『陸上競技が好き』なワケではなくて、『大社の陸上部』が好きだった部員がほとんどだったんだと思います」
良くも悪くも、それが「島根の県立高」のリアルだった。
裏を返せば、そういうモチベーションだからこそ、高校3年間、擦り切れることなくトレーニングを重ねることができた。余計な重圧とは無縁だったゆえ、かえって頂にたどり着くほど速くなれたのかもしれない。
最後のインターハイを不完全燃焼で終えた岡先も、それは同様だった。
岡先は高校卒業後、野田とともに強豪・早大競走部へと進学した。インカレなどでは活躍を見せたものの、どうしてもその先の「日本代表」や「世界大会」といった舞台はイメージができなかったという。
中学で日本一に輝き、高校では体調不良の中でも全国トップクラスの結果を残した投擲選手だ。そう考えるのはいささか不思議にも思えるが、岡先はこう胸の内を語る。
「いつかの大会でハンマー投の室伏(広治)さんとお話しする機会があって。なんというか、まとっている雰囲気が全然違ったんですよね。自分がそうなれるビジョンが見えなかった。正直、高校時代から先のイメージを描いたことがないんです。『大学でも競技ができたらいいなぁ……』くらいしか考えていなくて。
あとは1期生として入学したスポーツ科学部の研究など、学問の方にも興味が湧いていたのも大きかったとは思います」