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甲子園決勝で“世紀の追い上げ”…日本文理は15年前、聖地でなぜ覚醒した?「誰も外野まで飛ばせない」ド緊張だったチームが大躍進できたワケ
posted2024/08/22 06:01
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
JIJI PRESS
強力打線で2009年夏の新潟を制した日本文理も、前年夏の新チーム始動時には監督の大井道夫からこのように揶揄されていた。
火縄銃打線。
一発放ってから次の弾を発射するまで時間を要する戦国時代の銃のように、1本のヒットが生まれても連打が出ず、当然、得点も見込めない。「最低のスタートだった」と頭を抱えていた大井だったが、そこから選手たちが悲鳴を上げるほどの練習を課すことで攻撃の底上げを図り、「打の日本文理」が形成されていった。
だから、甲子園でも手応えがあった。新潟大会を優勝すると、監督はコーチの鈴木崇などのチームスタッフに打ち明ける。
「今年、このチームがひとつ、ふたつ勝てなかったら、俺はこの先、甲子園に出られたとしても勝てないだろうね」
そんな大井が、甲子園練習で自らの抱く期待感に懐疑的となる。
圧倒的な攻撃力で新潟の頂点に立ったチームの姿が、そこになかったからである。
強力打線がウリのはずが…外野にすら飛ばない!
「ものすごく動きが固かった。誰も外野まで飛ばせないんだもん。10分のバッティング練習で3本くらいだよ。『バットに鉛でも入ってんのか?』って思っちゃうくらいだった。私もプレッシャーがあったけど、『もしかしたら選手にも移っちゃったかな?』とか、いろんなことを考えてね。こりゃあ、すぐには試合できないな、と」
日本文理にとって幸運だったのは、大井がひそかに願っていたように初戦が2回戦からで、大会6日目だったことだ。だからといってその寒川(香川)戦でいきなり打線が爆発していたわけではなく、試合中盤まで沈黙していた。
固さ。監督の予想通り原因はそこにあった。2年生の高橋隼之介が打ち明ける。
「それまでは『慎重に』って1球への意識が強すぎて、自分では思い切りスイングしたつもりでも周りから見れば中途半端なバッティングだったと思います」