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「負けるとは思っていました」6点差で迎えた9回裏…それでも日本文理は笑顔だった 15年前の甲子園決勝、あの“世紀の追い上げ”はなぜ起きた?

posted2024/08/22 06:02

 
「負けるとは思っていました」6点差で迎えた9回裏…それでも日本文理は笑顔だった 15年前の甲子園決勝、あの“世紀の追い上げ”はなぜ起きた?<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

中京大中京との決勝戦では6回裏に6失点。試合の趨勢は決まったように見え、選手自身も「負けると思った」と振り返る

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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BUNGEISHUNJU

 今から15年前の夏の甲子園決勝。強豪・中京大中京を相手に高校野球史に残る「世紀の追い上げ」を見せたのは、全国的に見れば弱小県と言ってよかった新潟代表の日本文理だった。6点ビハインドで迎えた9回2アウトから、まさかの一挙5得点――。なぜ彼らは土壇場で、あれほどの粘り強さを見せられたのか。日本中を熱狂させた「進撃の19分間」が生まれたワケを、当事者たちの言葉で振り返る。《NumberWebノンフィクション全4回の3回目/つづきを読む》

 大井道夫の疲労が目に見える形で表れたのは、県岐阜商との準決勝に勝利後の囲み取材でのことだった。

 実は朝から体調が優れなかった。前夜に寝なかったことも影響してか、朝食を摂るとすぐに嘔吐してしまった。自身でも「あまり水分補給をしていなかったから」と軽い脱水状態にあるとわかっていたため深刻に捉えておらず、試合中も興奮と緊張が大井を支配していたことで体調を気にする余裕などなかった。

 そして試合後、張り詰めた状態から弛緩した67歳の日本文理の監督は、喉が渇いたと一気に水を流し込む。すると、再び気分が悪くなり医務室へと運ばれた。

「『脳に異常はないか?』とか言われて、目の焦点を合わせたり簡単な足し算をさせられたりしたんだけど、単なる夏バテだった。そりゃあそうだよ。前日に寝てないんだもん」

 日本文理の大井監督が倒れた。

 甲子園の医務室に搬送されたことで、誇張され周囲に伝わってしまった。それは選手も知ることとなり、大井が宿舎へ戻ると心配そうな顔で「明日の決勝戦はベンチに入れるんですよね?」とコンディションを気遣われた。

 監督はあえて、声を張ってみせる。

「大丈夫だよ!」

4試合で完投…エース・伊藤のコンディションは?

 大井からすれば自分の体調より、これまでの4試合すべてで完投しているエースの伊藤直輝のコンディションのほうが心配だった。

 2009年から遡ることちょうど50年前。大井は伊藤と同じ立場にいた。1959年の夏。宇都宮工のエースとして甲子園に出場し、初戦からひとりでマウンドを守ってきた。その大井が自分の体に明らかな異変を感じたのは準決勝以降だったという。

「飯が食えなかったの。もう、胃が受け付けない。旅館の主人が『最高の料理を食べさせたい』って毎晩すき焼きで、それまで喜んで食べてたのに食べられなくなった。そこからは何を出されても食べられなくなって、点滴を打ちながら準決勝、決勝を投げたね」

【次ページ】 「勝っても負けても、笑顔で新潟に」

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