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甲子園決勝で“世紀の追い上げ”…日本文理は15年前、聖地でなぜ覚醒した?「誰も外野まで飛ばせない」ド緊張だったチームが大躍進できたワケ
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2024/08/22 06:01
豪打がウリだったこの年の日本文理だが、甲子園に来てからは不調にあえいでいた。そんな中、初戦で高橋義人が放った本塁打が打線復活の起爆剤になった
試合後、チームをベスト4へと導いた大井のもとに多くの電話が鳴った。しかしそれは、祝福よりも警告のほうが多かった。
準決勝の相手となる県岐阜商は、PL学園、帝京と強豪を撃破して波に乗っていた。なかでも警戒すべきは、バッターとしても2本のホームランを放っているエースの山田智弘で、この投打の軸の攻略がカギだった。
「次はちゃんと試合になるといいな」
大井の母校である早稲田大OBや高校野球関係者といった知己たちは、軽口を叩きながらも本気で心配していたのである。そんな調子だから、大井も気が気ではなくなった。
「『甲子園にはコールドがないからな』とか『絶対に勝てないから、せいぜいいい試合を頼む』とか言いやがってさ。『どうしよう』とは思ったけど、こっちはずっと同じメンバーで戦ってきたし、替えるに替えられないし」
準決勝前夜。大井が気晴らしにとテレビをつけると、陸上の世界選手権が生中継されていた。トップアスリートの躍動をぼんやりと眺めているうちに「まあ、なんとかなるかな」と、開き直っている自分がいた。
大井は、一睡もすることなく朝を迎えた。
準決勝は投手戦に…躍動したバッテリー
それまでの大味な試合から一転、県岐阜商との対決を引き締めたのが、エースの伊藤直輝と若林尚希のバッテリーである。
「球が速くても打たれたら意味がない」と、ストレートの最速は141キロながらコントロールを磨いてきた伊藤は、甲子園のマウンドをひとりで守ってきた。
センバツまでは本間将太との二枚看板で投手陣を支えてきたが、その本間が春の大会で右ひじを故障。夏の復帰は絶望的だったが、本人は「無理ならしょうがない」と見切りをつけ、ボールボーイを買って出てくれた。
弱みを見せず献身的に裏方を務める友の姿を、伊藤は意気に感じた。
「人には言えないくらいの責任感の強さとかあったと思うんです。ずっとふたりで練習してきて、試合で投げてきて。秋は本間がいたから甲子園に出られたとか、いろいろ考えてしまうんですけど、最後には『自分が頑張らないと』と思うしかなかったです」
さらに伊藤は、中学からバッテリーを組む若林にもより信頼を寄せるようになっていた。