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「勝って当たり前と思っていたんじゃないですか?」立浪和義がいま明かすPL学園“黄金時代”の真相「そんなことありません。プロと違って…」
posted2024/08/17 17:00
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Katsuro Okazawa / Kiichi Matsumoto
1987年夏。あのKKの興奮と熱狂から2年後、PL学園は、まさに「常勝」の境地に到達した。「勝って当たり前と思っていたんじゃないですか?」当時の主将・立浪和義が明かす、盟主が盟主たる所以とは――。
発売中のNumber1102号[最後の全国制覇]立浪和義「盤石の編成力と落ち葉掃き」より内容を一部抜粋してお届けします。
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PL学園主将・立浪が語る“黄金時代”
「もう40年近く前の話になりますね」
現在、中日ドラゴンズの監督を務める立浪和義は、穏やかな表情を浮かべながら、1987年のことを振り返った。
その春、立浪はPL学園の主将として紫紺の優勝旗を手にした。そして夏には全国3900校の頂点に立ち、PLにとっては4度目となる深紅の大優勝旗を勝ち取った。甲子園の春夏連覇は'62年の作新学院、'66年の中京商業(現・中京大中京)、'79年の箕島以来、史上4校目となる快挙だった。
当時、PLは黄金時代の真っ只中にあった。夏の甲子園では'78年から'87年までの10年間に4度の優勝をしたのだから。
「みなさん、PLは勝って当たり前と思っていたんじゃないですか? そんなことはありませんからね。プロと違って毎年選手は入れ替わり、相手もPLを倒そうと必死に向かってきます。春のセンバツ5試合、夏の6試合を最後まで勝ちきるのはたいへんなことです。私が3年生の時に甲子園で一度も負けなかったのは、本当に幸運だったと思います」
4学年で11人がプロへ
立浪は幸運という言葉を使ったが、これだけ短期間に優勝を重ねられたのには、当然ながら、理由がある。
やはり、当時のPLには人材がそろっていた。立浪の前後の学年で卒業後、プロに進んだ選手はこれだけいる。