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あの野村克也が驚いた「データ通用しない」ある日本人投手…じつは“メジャーも欲しがっていた”山田久志の伝説「美しいアンダースローで284勝」

posted2024/08/25 06:01

 
あの野村克也が驚いた「データ通用しない」ある日本人投手…じつは“メジャーも欲しがっていた”山田久志の伝説「美しいアンダースローで284勝」<Number Web> photograph by KYODO

「アンダースローで284勝投手」山田久志の伝説とは

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太田俊明

太田俊明Toshiaki Ota

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KYODO

 球史に残る大投手の生涯ベストシーズンの成績を比較して、日本プロ野球史上No.1投手を探る旅。沢村栄治、江夏豊、江川卓、山本由伸らに続く第17回は、“史上最高のサブマリン”山田久志(阪急)だ。

 山田久志は、1967年から1978年までの12年間でリーグ優勝9回という黄金期の阪急に君臨した絶対エースだった。通算284勝は、歴代7位。アンダースロー投手としては史上最多である。さらに、12年連続開幕投手という日本記録が示す通り、長く安定した成績を残した投手だった。最高勝率4回は日本タイ記録、ベストナイン5回はパ・リーグ投手最多タイ記録だ。

なぜ沢村賞を受賞してない?

 山田の記録で極めつきは3年連続のMVPで、達成者は山田が日本プロ野球史上初。後に続くのは、イチロー(オリックス)と山本由伸(オリックス)の2人だけである。

 これだけ傑出した活躍をしながら、山田は沢村賞を受賞していない。同賞は、1988年まで対象がセ・リーグの投手に限定されていたため、1969年から1988年まで阪急一筋だった山田にはチャンスがなかったのだ。

 では、もしパ・リーグの投手も対象だったとしたら、山田は何回受賞していただろうか。筆者の検証では、山田は1971年と76年の2回受賞していた可能性が高い。

 1971年の沢村賞は該当者なしで、セ・リーグに敵はいない。パ・リーグでは山田の他に鈴木啓示(近鉄)が好成績をあげているが、この年の山田は沢村賞の選考項目である登板数、完投数、勝利数、勝率、投球回、奪三振、防御率の7項目中、登板数、勝利数、勝率、防御率の4項目で鈴木を凌駕しており、特に防御率は山田の2.37に対して、鈴木3.22と大差をつけていて受賞は確実だろう。

 1976年の沢村賞は広島の池谷公二郎だが、この年の山田は前述の7項目中4項目で池谷を上回っており、パ・リーグのライバル村田兆治(ロッテ)に対しても勝ち越している。

監督に反論「速かったら打たれません」 

 1971年と72年に連続20勝したデビュー間もない頃の山田は、速球とスライダーしかなく、ストレートで押しまくる投球スタイルだった。左足を高く上げ、一度伸び上がってからゆっくり沈み込み、地面すれすれから150キロの浮き上がるような快速球が来る。

「あの頃の山田は150キロ前後は出ていた」足立光宏(阪急)<ベースボールマガジン2023年10月号>

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