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あの野村克也が驚いた「データ通用しない」ある日本人投手…じつは“メジャーも欲しがっていた”山田久志の伝説「美しいアンダースローで284勝」
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph byKYODO
posted2024/08/25 06:01
「アンダースローで284勝投手」山田久志の伝説とは
「とにかく速かった。当時、ロッテの監督をしていた金田さんも『残念だが、うちの村田よりはるかに速い』と認めていた。阪急のキャッチャー河村健一郎は『受けていて怖いと思ったピッチャーはタカシが初めて』と言っている。山田久志は『タカシのストレートは終速が150キロだよ』。私も同感だ。もし、あの時代にスピードガンがあれば、160キロはゆうに出ていたのではないか」(「プロ野球 最強のエースは誰か」野村克也 彩図社)
新人・山口の活躍で、阪急はこの年、悲願の日本一を達成する。山口は広島との日本シリーズでも6試合中5試合に登板。ほとんどストレート一本で1勝2セーブをあげてMVPを獲得。完全に山田からエースの座を奪った。
一方の山田は、自ら希望して先発に復帰したものの、この年の被本塁打36と自責点95はともにリーグワースト、防御率4.32はリーグで下から2番目という不本意な成績に終わった。
自身の不甲斐ない成績。新人山口の快速球。大きなショックを受けた27歳の山田は、納会終了後にユニフォームを持って球団事務所を訪問し辞意を伝えるが、球団の懸命な慰留に現役続行を決めるという一幕もあった。
魔球「シンカー」…野村克也の評
この年のオフに、山田の窮状を見かねた足立は自主トレに山田を誘い、その場でシンカーの投げ方を伝授したという(「阪急ブレーブス 勇者たちの記憶」読売新聞阪神支局 中央公論新社2019年)。
「力勝負からインサイドワーク、駆け引きを駆使した投球をしていかないとダメになっていく。そう思わされたのが山口高志の出現なんですよね」(「ベースボールマガジン」2023年10月号)
足立から伝授されたシンカーを懸命にマスターした山田は、翌76年に劇的な復活を遂げる。
26勝7敗。2度目の最多勝、最高勝率に輝き、筆者の検証では“2度目の沢村賞”に値する成績をあげてMVPに。この年から史上初の3年連続MVPを達成してみせたのである。まさに、奇跡の復活と言っていいだろう。
伝家の宝刀となった山田のシンカーは、高速で鋭く曲がった。しかし、なぜこの一つの球種が加わっただけで劇的な復活を果たせたのか。
野村がこう記している。