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「ケーキ屋さんになるつもりだった」“異色の柔道家”角田夏実31歳が、パリ五輪「金第1号」になれた理由…「対策されても貫いた巴投げ」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTetsuya Higahikawa/JMPA
posted2024/07/28 18:20
日本の夏季五輪通算500個目のメダルにして、今大会第1号、女子柔道48kg級20年ぶりの金をつかんだ角田夏実
社会人になると大会で好成績をあげるようになり、強化選手にも選ばれ、国際大会にも派遣されるようになった。2017年には初めて世界選手権52kg級代表になり、銀メダルを獲得している。
ただ、52kg級は国内有数の「激戦区」だった。2017年世界選手権金メダルの志々目愛がいて、成長著しい阿部詩がいた。2018、2019年世界選手権にはその2人が派遣され、いずれも阿部が優勝。阿部には対戦成績でリードしていたが(角田の3勝1敗)、阿部が東京五輪代表に選ばれるのは堅い情勢になった。
階級を下げるという決断
わずかな可能性を求めて48kg級に階級を下げる決断をするが、48kg級で実績を築くには時間が足りなかった。結果、東京五輪代表には選ばれず、補欠での選出となった。
「東京が終わったらやめよう」と思っていた角田の気持ちが変わったのは、東京五輪に先立ち開催された2021年6月の世界選手権だった。48kg級で出場し優勝を果たしたのである。現役続行を決意すると、いつしか2023年の世界選手権まですべて一本勝ちで3連覇するなど48kg級の中心になっていた。
巴投げと関節技を追い求めて
大学生の頃から今日まで、根幹をなしたのは自分の柔道を追求する姿勢だった。時間をかけながら巴投げは基本の形から派生して幅広いバリエーションをつくりあげ、関節技にも磨きをかけていった。大学生の頃から一貫して自分らしさを徹底して追い求めた日々が、「自分を信じて戦う」心の支えだった。
日本女子柔道史上最年長の31歳11カ月で金メダリストとなった角田は、今後を尋ねられてこう答えている。
「準決勝が終わった後、決勝前かな、もっと練習して試合に挑みたかったなっていう気持ちがすごいありました。怪我とかなく、もっともっと練習がしたいっていう思いがあって」
「ゆっくり休んで考えようかなって思います」と言いつつも、「もっと練習したい」という言葉は、自分の柔道を追い求めてきた角田夏実らしかった。