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「ケーキ屋さんになるつもりだった」“異色の柔道家”角田夏実31歳が、パリ五輪「金第1号」になれた理由…「対策されても貫いた巴投げ」
posted2024/07/28 18:20
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Tetsuya Higahikawa/JMPA
表彰のセレモニーで「君が代」が流れ、国旗が掲揚されると、みつめる目から涙がとめどなくこぼれ落ちた。7月27日(現地時間)、柔道48kg級を制した角田夏実はこみあげる感情をおさえきれなかった。
「(金メダルを獲った直後)終わったのかなっていう安堵感が強かったです。去年、代表が決まったぐらいから、ずっとこの日のことを考えて練習だったり日々過ごしてきたので」
プレッシャーは大きかったと言う。
「プレッシャーに弱いタイプなので」
「(獲得すれば)夏季通算500個目(のメダル)とか(今大会)第1号(の金メダル)とか、『どう思いますか』とけっこう言われてきて。ほんと、そういうプレッシャーが強くて。プレッシャーに弱いタイプなので、そういうのを感じたくなくて、言われても耳ふさぐというか、スルーして、終わってみてそうなればいいなと思ってはいたんですけど、自分を保つために耳をふさいでいたから」
金メダルなら48kg級では2004年アテネの谷亮子以来20年ぶりであることも、重圧のひとつになっただろう。
しかも31歳11カ月にして初めて立つ舞台でもある。いざ迎えると、他のどの大会とも違った。
「試合の前からのプレッシャーだったり、不安だったり、すごい全然違って。自分がどうやって試合に臨んでたのか、分からなくなるぐらいでした」
今年に入り1月と3月に怪我を負うなど万全な練習を積めない状態でもあった。
はかりしれないプレッシャーにもかかわらず、畳の上では初戦から決勝まで、自身のスタイルを貫き、培った力を発揮してみせた。