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「ケーキ屋さんになるつもりだった」“異色の柔道家”角田夏実31歳が、パリ五輪「金第1号」になれた理由…「対策されても貫いた巴投げ」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTetsuya Higahikawa/JMPA
posted2024/07/28 18:20
日本の夏季五輪通算500個目のメダルにして、今大会第1号、女子柔道48kg級20年ぶりの金をつかんだ角田夏実
得意とするのは世界屈指の巴投げと関節技、そして寝技。対戦相手が対策をとってくるのは分かっている。それでも自らのスタイルを押し出し、1回戦、2回戦ともに巴投げで技ありを奪ってからの関節技で一本勝ち。最大の強敵と目された準々決勝のブクリ(フランス)相手には巴投げで一本勝ち。
準決勝のバブルファト(スウェーデン)戦こそ、相手の防御が徹底していたこともあり延長にもつれこんだが、組み手を切って離れたことでバブルファトに3つ目の指導が与えられての反則勝ち。決勝では再び巴投げで技ありを奪ってみせた。
「最後まで自分を信じて」
「やっぱり対策されてるなっていう部分もあったんですけど、最後まで自分を信じて戦おうと思いました」
最後まで自分を信じて――角田の歩みを思えば、その言葉には格別の重みがあった。
「平坦ではない道のりを歩んできた柔道家」
角田はしばしばそう形容される。
まさに平坦ではない柔道人生を歩んできた。いくつもの点で「異色の柔道家」と語られてきた。
「ケーキ屋さんになるつもりだった」
高校を卒業するとともに柔道をやめるつもりでいた。
「専門学校に入ってケーキ屋さんを目指そうと思っていました」
柔道では日本代表として活躍する選手には中学、高校時代から国内外の大会で華々しい成績を残す選手が多い。だが角田はそうではなかった。
「強くなりたいと思って入ったのに、高校での最高成績は2年生のインターハイ3位で、それ以上の成績は出ませんでした」
競技人生に可能性を感じられずにいた。それでも周囲に説得され、大学で柔道を続けることになった。進んだのは国立大学の1つ、東京学芸大学であった。スポーツの強化に力を入れ始めていた時期ではあるが柔道の名門というわけではない。
「そこそこ柔道をやりつつ、しっかり勉強できるから」が進学の理由だった。ところがそれが柔道人生の転機となった。