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「藍君も来ました」“最強リベロ”佐野優子はなぜ“人気クレープ屋”へ転身した? 五輪メダリストの第二の人生「バレーと一緒でなかなか極めきれない」
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byNoriko Yonemushi
posted2024/07/24 11:03
京都・嵐山でクレープ屋を営む元バレーボール日本代表・佐野優子(44歳)
佐野は現役中から嵐山に住み始め、近所の人々との関係を築いていた。
「地元の人や商店街の人たちの力を借りて、ここが空いてるよと教えてもらったので、『じゃあやろう!』という感じで、急いで準備し始めました」
なぜクレープだったのか。それは佐野の初めての海外移籍先だったフランスに由来している。
「ちょっとアホな話なんですけど(笑)。フランスに行った時に、パンやスイーツが本当に美味しくて! 日本に比べたら練習時間が短くて昼休みが5時間ぐらいあったから、パン屋さんでバイトしてパン作りの勉強をして帰りたいなと思ったぐらい。結局それはできなかったけど(苦笑)。
その時の同僚がそば粉のガレットを作ってくれたんです。その時に初めて『そば粉って海外にもあるんや』と知ったんですけど、そのガレットがめちゃくちゃ美味しくて」
ガレットはフランスのブルターニュ地方発祥の料理で、そのそば粉を小麦粉に置き換えて作られるようになったものがクレープだ。
「たけのこの里」工場でも働いていた!?
もともと佐野はガレットの店をやりたいと考えていたため、物件が見つかってから、修行のためガレット店にパートに行ったという。
五輪メダリストがガレット店でパート……。いや、驚かない。この人は現役時代、チョコレート工場で働いていたこともあるのだ。
それはロンドン五輪でメダルを獲る7年前のこと。フランス・RCカンヌでの1年目のシーズンを終えて帰国した2005年は日本代表に招集されていなかったため、再び渡仏するまでの夏場、男子の9人制バレーボールチームに混ざって練習していた。そのチームが明治製菓(明治)のチームだった。
だからといって工場で働く必要はなかったのだが、やりたいと希望して、チョコレート工場で『たけのこの里』の製造ラインに入っていた。彼女の好奇心は誰にも止められないのだ。